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小説短編1:「電柱」

 「私は本当のことを知っている。」彼はそう断言したうえで、こう続けた。「なぜキジバトの鳴き声は中途半端に終わるのか。あのガスタンクは本当にあんなに丸い必要があるのか。なぜ蟻には一定の割合でサボるやつらがいるのか。答えは全てある一点に収束する。」


 私が彼と出会ったのは、実家から歩いて20分ほどの場所にある「図書館」だった。
 あの時私は、自宅に篭りきりの生活についに耐えかねて、梅雨の時期に傘も持たず半ば捨て鉢な心で外に出ていた。それは何らの目的も持たない純粋な歩行としての散歩だった。
 ところが、というより案の定にわかに暗雲が立ち込めた。トツトツと降り出した雨は、歩みを進めるごとに強まり続けた。ついに私の純粋な歩行は雨宿りという目的に敗北した。そして方向転換を考えたちょうどそのとき。
 「図書館」が目に入った。
 普段使わない方の市営図書館に私は詳しくない。この老朽化の進んだ集合住宅の一階が図書館になっているらしいことにもこの時初めて、本当に初めて気がついた。
中に入るとどこか懐かしい匂いがした。図書館にはあるまじきことだが、カビた本の匂いかもしれなかった。
 濡れた髪から滴が垂れない程度にハンカチで頭を拭いていると「君、急な雨だったな」と背後から声をかけられた。私は入り口付近に立っていたので、後方から声がするということは私の後にここに入ってきた人物だろうと思った。しかし、振り返ってみるとその男は少しも雨に濡れた様子がなかったし、私同様傘も携えていなかった。これが「彼」との出会いだった。


 「知っているも何も、本当のこととは何でしょう。真実と言うものには実体がない。概念です。各人にその人にとっての『本当』があり、常に揺らいでいます」私がそう応えると彼はクワツクワと一頻り笑ったあとで「あの電柱、君、見たまえあの電柱を。そもそも電線というのは地下を通した方が安全で勝手がいい。そういうこと、つまり後先を考えずに、やけっぱち的に村に電気を通そうとしたから、あんな風に珍妙な棒が今でもそこらじゅうに生えているのだ。」私は何の話だろうかと考えつつも「しかし、私は電柱のある風景を好んでいます。」と発話していた。どこかで見かけた景観を壊す電柱は排するべきだという考えに対する反感が、時を越えて今、声に滲んでいたかもしれない。
 彼が今度はドムンドムと笑った。私はそんなに笑って身体に障らないかと心配に思ったが、彼はそんなことには構わず続けた。「君に電柱への思い入れがあることくらい私は知っているさ。この街の電柱についても大抵の住人より把握しているだろう。重要なのはそこだ。ほら、今度は空を見たまえ、あのおそろしく赤い夕暮れと、それを澄んだ放物線で切り裂く電線を、そして影になった電柱の黒々とした輪郭の緩急を。電気は現代の社会を動かす血液であり、それを伝えるあれらは、いわば血管だ。その露出としてのグロテスクと切実さに君は心を奪われる。考えるべきなのは奪われたその心が本当は今どこにあるのかということだ。」
 その時ちょうど我々が見ている電柱に靴紐で繋がれた一足の靴が引っかかった。複数の子供が、一人の子から靴を奪い取り投げたらしい。子らは様子がおかしく、自分たちの行いとその場の空気に我を失い半狂乱に走り去ったようだった。靴下の少年だけがそこにいて、泣いていた。突然に私は怒った。この怒りの機会を待っていたかのように怒った。何としてもあの靴を奪還し、走り去った子供たちにこの怒りをぶつけなくてはならない、そう思った。「人を苦しめてはいけない」「愚かな衝動にこの『本当の電柱』を用いてはいけない」と伝える必要がある。本当の電柱?何だそれは。
 気がつけば私は電柱を登り始めていた。彼が足がかりのある高さまで梯子をかけてくれたらしい。私はずいずい登り続けた。しかしなかなか靴のかかっている高さに到達できない。というか、角度のせいかかかっているはずの靴が見えない。
 さらに登り続けおそらく普通の電柱のてっぺんほどの高さに来たとき、私はこの場所に設置された電柱が記憶にない、つまり本当はここに電柱など無いことに気がついた。途端にこの電柱に上端が無いことが実感として分かった。遥か彼方空を突き抜けて伸び続ける電柱。私は帰り道が無いことを悟った。とすれば。
 私はさらに登ることにした。存在しない頂という一点を目指して。もはや振り返る必要などない。私は進もう。「私は本当のことを知っている。」私は前に進むしか無いのだ。私たちはそうできている。答えがそこにある。前に。ただ、前に。


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