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エッセイ2:アララ、私の一日

 失敗した、とよく思う。もう一日が終わるというのに、まだ何も意味のあることをしていない。部屋はめやくちゃ散らかっているし、何の課題も済んでいない。この状態は良くないと思いながら、ずっと放っておいてしまう。そういうことがよくあるし、つらい。

 私の人生としてそれってどうなのだろうか。ちょっと予定の隙間に生じた一時間とか、特に予定の無い休日とか、無為にしてしまう訳だけど、そういう時間も限られた人生の何分の一かだ。ひとつひとつは短い時間の無駄でも、積み重なれば最後には何十年分かの「何もしなかった時間」になるかもしれない。そんなに時間があれば何かできそうではないか。何者かになれるのではないか。自分はひとかどの紙すき職人になれたと思う。無闇に確信する。小学生の頃、紙漉き体験で坊やは筋がよろしいと褒められたので。

 いや、でもねと。じゃあ人生において有意義なことってなによ、つう話。世の中に起こりうる出来事や体験が、有意義オアノットで語れますか。宇宙の誕生は有意義だったか。生命の存在に意味があると証明できるのか。各人の信条によって意見は分かれるだろうが、私はこういう問いはノーと答えてよいと思う。超宇宙的な視点に立てば何事にも本質的には等しく無価値だ。価値はあとから個々人によって見出されるものだといえる。となると、自分が今の暇つぶし的生活に不満足なのは、私自身がそこに価値を見出していなかったからということになる。なるほどオッケー、これからは自分の怠惰を受け入れて称えます。私が私として時間を無駄にしていくこと、素晴らしい。私にしかできないタスク放棄がここにある。聞いてください、世界に一つだけの花。

 しかしそう言って愚にもつかない槇原敬之の物真似をしていても、私の気は晴れない。それはなぜか。私が超宇宙的な存在ではなく、もっと矮小で卑しい人間だからだ。だから結局なんとかギリギリやる気を出して、すべきことを為したり、為さなかったりしながら生活せねばならない。やっぱり苦しい気持ちからは逃れられない。ほらね、こんなふうに無意味な思考に時間を割いて、また無駄にしちゃったよ。失敗した。もう何もかも世の中が悪い。安倍政権が悪い。水道を民営化したら暴れよう。誰か私を救ってください。

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