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自叙伝「#車いすの暴れん坊」#25 まちづくりネットワークとNPO設立

インターネットが段々と整備され、メーリングリストで多くの人と会話が楽しめるようになった。

別府八湯メーリングリスト(後にまちづくりの団体に発展していくネットワークでもあった)という、別府の地域に根差したメーリングリストに参加し、いろんな人とも交流を広げていった。

その中で俺たちはバリアフリーの探検をすることを企画し、飲食店の副社長が名前を考えてくれた。

その名も「グレート・バリアフリー探検隊」。グレート・バリア・リーフを文字ったもので、とてもいいネーミングで気に入った。

グレート・バリアフリー探検隊では、建設会社や飲食店の社長、いろんな職業の人たちが集まって、街のバリアフリーの検証をする。車いすや視覚障害者体験などを通して、健常者も車いすに乗ってみる。

すると、道路が片勾配になっていたり、ちょっとした段差が上がれなかったり、こんなに大変なんだねと驚いてくれる人も多い。

その中から自然発生する形で「自立生活センターおおいた」という障害者団体を作った。障害者の雇用もして、バリアフリーのコンサルタントや介護用品の販売をしながら、運営していこうと思っていた。

介助の方も全然使えない状態から、社会福祉協議会というところから週に1回2時間、ヘルパーを派遣してもらえるようになった。

それと並行して訪問看護もお願いし、看護師さんがバイタルのチェックや褥瘡(じょくそう)などの原因となる傷ができていないかなどを診てくれるようになった。そうして、訪問看護が週1回、社協のヘルパーが週1回2時間来てくれるようになり、掃除やシーツ交換な どをしてもらった。

社協のヘルパーはその後、週2回各2時間ずつ来てもらえるように変わ り、そのあたりから徐々に介助制度が利用で きるようになっていった。

その後、措置費というものが付くようになり、民間でも法人格があれば、介護者派遣ができるように制度が変わってきた。そうして 2002年1月に、NPO法人自立支援センターおおいたを設立した。

自立生活センターでピア・カウンセリングや自立生活プログラムをし、自立した後に自立支援センターおおいたでヘルパーを使って自立生活を送る。

ピア・カウンセリングや自立生活プログラムに対しては報酬をとることができない。言わばボランティアの部分である。

それで、自立した後にヘルパーを使ってもらうことで、運営費を稼ぎ、また自立する人を増やしていく。

この方法で施設や親元から離れ、一人暮らしがしたいという人を自立させていく。こうして自立する障害者を仕事と生活両面で支援する仕組みができていった。

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ユニバーサル別府


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