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キレイな大人?いやキタナい大人だ。

キレイな大人は存在するのか?
この命題はきっと正解のない答えだと思う。

マザーテレサは、実は聖人ではなく人身売買をしていたという話もあるように、キレイな人でも裏は違う可能性だってある。

ぶっちゃけ、僕は自分のことをキタナい大人だと思っている。
嘘もつくし、うまく言いくるめることもあるし
法律を1回も犯したことないかと言われると100%イエスとは言えない。

信号無視もしたことあるし、兄弟ケンカで殴ったこともある。
そんな小さな罪を犯してきている人間だと思う。
多分犯した罪は、行った善の数より多いかもしれない。

「僕はキタナい大人だ」
と、最初の職場の子どもたちにも言った記憶がある。
子どもたちに来てもらわないとここは潰れるし、無くなる可能性だってあるかもしれない。
だから、来てほしくなるように筋を通らせた説明をするし、理由を聞かれたらちゃんと答えるようにしている。
でもそれはお金が入るからと言う気持ちもあるから、僕はある意味キタナい大人かもしれないね。
と言う話もした。
誰かのためにしているようで、自分の気持ちや欲を満たしている
いわば自己満の気持ちはめっちゃある。
誰かを満足させることで、自分が満足する。そんな人もいる。

結局は自己満につながるのではないかと思うこの頃。

今までの経験も泥に塗れてきているし、
心がキレイなまま、見た目もキレイなまま大きくなったとも言えないし
思考もキレイかと言われると多分キタナいんだろう。

この世界はキタナいものがたくさんある。
大人たちはそれを見せまいと、フタしようとすることが多い。
果たしてそれが正解なのだろうか?
キタナいものも見せたり、見てもらう。
大人の醜さ、できなさも出して、なんでもできるんだという子どもの思いも壊す。
そんなことも大切だったりするんかなぁと思う。

最近、キタナい大人の話をしたのでふと、このnoteにも記した。



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