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Y:59 私の日本語は寂しくもある

この記事を共有する人が多かったので、何となく読んでみた。”何となく”というのは、タイトルから予想して、日本語母語話者じゃない人が、日本語を話した時に「正しい・まちがってる」って言われて、それは本来そういうものではないよね、いろいろあっていいんじゃないって感じで話がまとまるんだろうなと思ったから。私はそれはそうだと思っていたし、そんな自分の予想の確認をするように読み始めた。

5分もあれば読み終わると思っていたのに、今、ふつふつと書きたいことが出てきて、今日の計画を大幅に変更して、これを書き始めた(笑)

どこかよその人の話と思って読み始めていた。私は日本人だし、両親も日本人で、複雑な背景なんてないから。そういうのもあって、こういう文章を読まないと、複雑な背景の人の気持ちを想像できないんじゃないかと、だから、職業的にも読んだ方がいいだろうと(笑)

読み進めていくうちに、訛りや方言の話が出てきた。

栢木 話し言葉にも同様のことが言えますね。つまり、「訛(なま)り」をどう捉えるかという問題です。移民の1世がよく経験することですが、自分の訛りを笑いものにされたり、訛りから出自や背景のことをくどくど問いただされたり、もっとあからさまな暴力を受けたりと、そういうことが積み重なったために、自由に言葉を発せなくなるケースがあります。周りの差別のせいで、当人が「普通の」発音とかイントネーションを過剰に意識するようになるのです。そのため、さまざまな響きやリズムを持った多様な日本語、多様な英語が聞こえなくなってしまう。

ここを読んだときに、”移民の1世”でなくても、あるよな~と自分の過去が思い出された。

私は広島生まれで10歳まで育ち、そこから父親の転勤についていき、茨城県のある町に引っ越した。ここで、こっぴどくやられたのが「訛り」と「方言」だったと思う。

今にして思えば、茨城県なんて、関東の北のごにょごにょごにょ(以下、省略)だけど、当時、広島から来た私の話す言葉は、あらゆる場面で、彼らの異物センサーにひっかかっていたと思う。

ぱっと思い出されるのは、「七(なな)」「くつ」。学校だと授業でも遊びでも、一人一人番号を言うような機会がよくあったり、くつをぬいで、くつをはいてとか、「くつ」は身近なもので言う機会も多かった。どうも、このアクセントが、私のと彼らので違って、こんな簡単な言葉の言い方が違うというのが、ド田舎からやってきたみたいに思われていたふしがある。(今思えば、私が住んでいた広島市の方が、その茨城県の「町」より、よっぽど都会だった)

一度、体育の時間に違うクラス女子が5人ぐらい私のところに向かって走って来て、何を言い出すかと思ったら
「「あいうえお」って言ってみて」
と。きっと、あるクラスに転校生がやってきて、そいつが変な言葉を話すからおもしろいぞという話になったのだと思う。

10歳の私は、それまでの人生で女子に囲まれるたことがなかったので、半ばうれしさで「あいうえお」と言った覚えがあるが、その後、笑われて女子たちが散っていったのを覚えている。今考えるとひどい話だ。子どもは残酷だ。その当時は、ややショック程度の話だったが、40歳の私がこの状況を思い返すと、30年前の自分のバカさと健気さに泣けてくる(笑)

あとは、方言。10年広島に住めば、もちろん、私は広島弁のネイティブだった(笑)感情を広島弁に自由に乗せて、10歳までは話していたと思う。例えば、「たくさんあるよ!」みたいな言い方は、広島弁だと「ぶり、あるんじゃけん!」(←これが正しいか自信がない)となってしまう。そりゃ、彼らにとっては、「ぶり」ってなんだよ魚かよ!ってなってしまう。私の話し方が、ほぼすべて、笑いの対象になった。実はこのあたりの記憶は今となってはあまり覚えていない。たぶん、忘れたかったんだろうなと思う。

よく耐え抜いたなと思う。当時の私にビックリマンチョコを箱買いしてあげたい気分になる。

茨城での言葉に対するネガティブな経験は私のその後の「適応戦略」に大きな影響を与えた。父親が転勤族で、2,3年で引っ越すことが決まりごとになってからは、誰に言われたわけでもないけど「現地の言葉は話さない(覚えない)」という戦略をとるようになった。下手に方言を覚えてしまうと、次に行った先で、笑われたり、直すのが大変だから。

これってまさに

周りの差別のせいで、当人が「普通の」発音とかイントネーションを過剰に意識するようになるのです。

の典型だったんだなと。

そして、逆に言えば方言がある土地では、いつまでも私の「よそ者感」はあったんじゃないかと思う。そこまで仲良くなりきれないというか。

私の適応戦略の結果、どうなったかというと、大人になる頃には広島弁を忘れて、話せなくなり、いろんな土地を転々とした割には、その土地の言葉を話せず、逆にどのグループにも属せない人になった。あげくの果てには、広島の親戚に会うと私が語尾に「~じゃん」とつけるようになったと笑われるようになった。

記事の終盤で

栢木 人間はそれぞれ違う人生を歩んでいるわけですから、当然、言葉には個人単位でさまざまなバリエーションが生まれる。温さんが書かれているものは、そういう言葉の多様さや個性の重要性を実感させてくれます。
 正しくあらねば、という抑圧はどこにでもあります。「正しい」言葉が話せないというコンプレックスを手放し、むしろ訛りやずれこそが個性だと誇ることができれば、みんなずっと楽になるのではないか。

これは全くその通りで、私もそうあってほしいとは思う。

一方で、「言葉(方言)」は内と外をわける機能があると思う。ある言葉を使いこなせることは、ある集団の内に入るカギのようなものだと思う。

気がつくと私はどのカギも持たなく(持てなく)なっていて、入る家がなくなってしまっていた。それは、方言や訛りを消すことで、私のカギは凹凸がなくなってしまいカギを回せなくなったかのようだ。それを個性と胸を張るのは、いささか、強がりのように感じる。

個性も大事だけど、何かに属している自分(個)というのも大事で、例えば、都会に出ていた地方出身者が同窓会で集まって、方言で話すと、あっという間にその時代に戻るような感じというか、仲間感みたいなものがあることもまた事実だろう。それは私からするとうらやましい。

もちろん、「言語」はたくさんあるカギの中の一つなのだろうから、別のカギを使えばいいだけなのかもしれない。

多様性が大事なことは百も承知なのだけど、多様性の追求は、個の追求でもあり、ときに寂しい道でもある気がする。

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