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Y:39 わくわく

いつの頃からか、顔や体にすぐ跡がつくようになった。うたた寝して、起きて、鏡を見ると顔に溝がはしっている。揉んでも、なかなか消えない。体もそうだ。毎朝起きると、Tシャツの縫い目が体に刻まれている。昔はこんなことがなかったと思う。

髪に目を向けると、白い線が見えた。光の加減かなと、顔の角度を変えてみても、白いものは白い。えい、えいと抜いて数日、経つとまた生えていたりする。排除から共存の道を選ぶ時が来た白髪。

かつては田中邦衛や若村麻由美が出演する胃薬のCMを見て、だれが、こんな薬を使うのだろう、年寄り臭いなと思っていた。家になかったからなのか胃薬を飲んだことがなく、ビオフェルミンとかストッパのカタカナ系にお世話になってきた。それが、ここ数年で、胃がしくしく痛むことが増え、人からすすめられて、半信半疑で胃薬を飲んでみたら、すごく効いてびっくり。「ありがとう、い~薬です!」と心から言えるようになった。

私は40歳になった。

40歳になる頃には、いろいろなことがわかって、「不惑」に生きていけるのかなと期待していたのだけど、先月くらいから、どうもそうはならないんだろうなと、うすうす気づいていた(笑)40にして不惑になれなかった。

正直なところ、不惑どころか、惑うことが増えている。自分の考えをしっかり持てるように、表明できるようになりたいと30代で思っていたが、物事を知るようになると自分の中で矛盾することも増えて、人の話を聞けば、あ~そういうこともありえるかもしれないと、よくわからないことが増えている。40にして、より惑う「惑惑」状態になっている。

例えば、「人は変われるのか?」みたいな問いに、人の性格は遺伝的な要素が半分程度という話もあれば、最近だと、「マインドセット」の考えもあり、「自分は変われる(成長できる)」という心構えで人は変わるという知見もある。

どっちなのだろうということが増えた。そして、一見、相反することがどちらも事実としてあることも、よくあると知るようになった。

ピシッと一貫性のある自分であることが好ましいと考えていたのだけど、どうも世界は矛盾がけっこうあって、むしろ矛盾を抱えながら、試行錯誤し、よいバランスを探し続けること、フットワークよく、矛盾の間を行き来できる方が価値があるのではないかと最近、思い始めた。ただ、惑うことは精神的な持久力がいるので、けっこう疲れる。

「40にして惑惑」、漢字だとずいぶん心もとないが、「40にして”わくわく”」とすれば、ややポジティブになる。

惑い過ぎで、眉間にしわがよって、しわが取れなくなるのは怖いけど、40代わくわくでいきたいと思う。

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*人間でいうと、おそらく不惑をこえている野良猫のハコちゃん。彼女の眼には惑いがない。いつも目つきが悪い。だけど性格は温厚で臆病。

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