noteの呪縛、ブログからの脱却

宣伝会議の編集ライター養成講座の米光コース。第3回目。
シーズン11から、課題発表の場をnoteにした。
良かった点は、原稿からへんなリキみが消えたこと。いままでは新雑誌に5回連載で書くという想定で課題を書いてもらった。そうすると「雑誌に書くライターはこういう感じですよね」という妙な偏見がぶっこまれたリキみにリキんだ原稿がたくさんでてきた。
noteにすると、それがすっと消えた。素直な文章で書いている。が、反面、友達や同好の士だけに向けて書いている文章になってしまっている。

意識のベクトルが外側じゃなくて、内側に向いている。

もちろんブログとして続けていくならば、それでもいい。だが、プロを目指す講座なので、これでは「書けてない」と判断されてしまう。

編集者からよく「ライターいないっすか」と聞かれる。これはもちろん「書けるライター」であり、ここで「書ける」というのは、ちゃんとメディア上に読者を意識して書ける人ということだ。
ベクトルが外側に向いている文章を「書ける」人だ。

noteの呪縛、ブログのスタイルからの脱却が必要だ。

ホームパーティーでおいしい手料理を振る舞うことと、レストランでプロが料理を出すことはまったく意味が違うように、ブログの文章として心地良いものと、プロがメディアに書く原稿は、違う。

もちろんネットの登場で、個人がメディアを持てるようになった今、この境界線が曖昧に混乱している状況では、ある。

なのだが、シンプルにいまプロになろうとするならば、ベクトルを外側に向けて、まず「あなた」に興味がない人にも届く文章を書くほうが得策だろう。

ひとまず、以下を実行してほしいと述べた。

【1】「です、ます」ではなく「だ、である」で書く。
【2】読者への呼びかけ禁止
【3】自分の視座から離れないこと(先生でもないのに先生視点で書かない)
【4】のっぺらぼうの他者を読者にしない(課題のオフ会をなぜやるのか、どのようにして読者を発見するのかという話をした)
【3】自分の発見を、読者が「!」となるように届ける。

3番目が肝だ。「自分の発見」とは何か。他人の発見になってないか。発見ではなく概要になってないか。自分が「!」となったか。
そして、それを届けるためにどう工夫すればいいのか。
そういったことを解説して、それを考える軸として「観察と感想」を意識するワークショップを行った。

実際に、米光を観察して「観察」を発言してもらう(「毛玉のついているジャージを着ている」とか言われるうぐぐ)。
その後、松本清張の「恐喝者」の冒頭を「観察と感想」に分けて(松本清張は、観察で感想を支えるのがめちゃくちゃ上手い)、チームでディスカッションして、全体でシェアする。
初回の課題図書であった『悪童日記』を具体例に、観察を使って感想を伝えるポイントを解説する。

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