台本を書くということ
なぜか、書くとまとまる。
文章を書き始めるとまとまっていく。
まとまるように考えているのか。もともとあった考えを、言語化の過程でまとめているのか。
自分でもよくわからない。
ただ、文章に起こしていくと、考えてもみなかった結論を書いていたりする。それで案外スッキリしたりもするのだ。
だからこそ、台本を書くのは苦しかった。
たのしいけど、苦しかった。
書くべきゴールや、起承転結を細やかに決めても、それが全然別の方向に転がっていってしまう。
決めすぎない
考えすぎない
書きたいように書くしかない
それが私の文章の攻略法。
ある程度の空白がないと、文章が始まってくれない。
台本を書く時には「書きたいシーン」がまずある。
そこに繋げるためにはどんなストーリーであるべきか、どんな登場人物がいるべきか、どんな回り道をしたら輝くかを考える。
「書きたいシーン」までバトンを繋げるのがこれまた辛い。
必要なだけの場面を書いているのも辛い。楽しんで書いてない文章は、後から読むと、すぐにわかる。義務で書いている箇所が、違和感をグイグイ主張してくる。それを無視してでも書かないといけない。義務で書くことへの後ろめたさも無視するしかない。
これだ、と思う快感がある。
あの一瞬に出会いたくて、義務を果たして、いろいろなものから目を逸らして、逃げるように書くしかない。
あの快感が忘れられない。
演劇なら、それを舞台上から客席に届けられる。あんな快感は他にない。
才能はないし、努力なんかしてこなかったけど、それで手放せずに、またいつか、またいつか、と思う。
いつか、と恋焦がれていられることが、幸せなことのようにも感じる。
台本を書くことが、好きで好きでたまらない。
こんな苦しくて叶わない恋煩いはありますか。
いつまでも私に恋をさせてくれ。
いつか、また。よろしくね。
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