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米村さんと行く 大塚国際美術館 第二弾!!!~長崎土産もあるよ~

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

徳島大学細胞生物学分野・ヨネケン秘書のあべみょんです。

いやーーー!!!!
見事に頭が働いていません!仕事始め!2022年1月4日です!

私としたことが
2022年のカレンダーをセッティングして、そんなに大騒ぎするほどでもない量のメールの処理をするだけでやっとです(笑)

カフェボードも、とりあえず年末っぽかった部分は「今年もよろしくお願いしますバージョン」に変更はしたものの、完全版は明日にするとして。。。

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左半分新年バージョンになっています(笑) 完全版は明日。。。

(´Д`)ハァ…なにをしたというわけでもないのに、気づけば15時前(笑)
この疲労感。。。

糖分を補給するしかないようです。

今年はね!去年よりかはお土産が豊富なのです(^^♪
もうね、せっかくだから引っ張って(笑)1日1個ずつ紹介することにしよう(笑)

今日は長崎土産いきましょう。柴田さんより!!!
長崎カステラ本家福砂屋さんの『カステラ』!

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こちらは、明日、あまいずみさんが来るというから、食べるのは明日にしまして…(^^♪

本日の実食はこちら。

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Fukusaya Bizcocho(福砂屋ビスコチョ)

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カステラのラスクだそうですよ。
なななんとビスコチョは、 柴田さんのご親戚から だそうで
聞けば、 その方!!! あべみょんファン であると!!!

そんな徳の高い方が長崎にも!!!いらっしゃるとは!!!
私の魅力に気が付くとはお目が高い!!!
ビスコチョも、「あべみょんに食べてもらいたいから」と渡されたというではありませんか!
え!!!なにそれ!!!すごくない!?!?(笑)私の人気(笑)

もう柴田さんのおっちょこちょいエピソードばかりではいけませんね。
柴田さんがいかに優秀かということもたまには書かないと(笑)

そんなわけで今日はこちらをいただきましょう。

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サク♪ 上品な甘さで、軽い食感、この軽さは危険です。手が伸びちゃうやーつですよ。どうかゼロカロリーでありますように(^^♪
ごちそうさまでしたーーー!!!2022年の、柴田さんにはたびたび登場してもらいますので引き続きご愛顧ください(^^♪


さて!
今日はいつもにもまして頭が回っていないので、さっそく手抜きをしましょう。前回も大変好評いただきました。
米村さんと行く大塚国際美術館

昨年末に、奥様と2回目の大塚に行ったそうで、その時のレポート、Facebookよりコピペしてお届けします(笑)

今回はお待ちかね、ルネサンス期。
ただでさえ超有名画家の作品である上に、山田五郎先生の大人の教養講座で予習済みなので私も楽しく拝見できました(^^♪

「大人の教養講座」も合わせてぜひご覧くださいね~それでは行ってみましょう。

大塚国際美術館2回目。年末12/30に行きました。ルネサンスから印象派の一部まで見ることができましたが、ここではルネサンスまでしかあげられませんでした。作品量、情報量が多くて大変です。

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ミケランジェロ システィーナ礼拝堂
聖堂は信者のためのものですが、非常に有力な富裕層は個人の礼拝堂を持っています。バチカンにおいて教皇の個人礼拝堂であるシスティーナ礼拝堂。当然最高格の礼拝堂です。錚々たる面々が壁画を描いているその上の天井画という非常に広い面積を依頼されたミケランジェロ。それに聖書の創世記の話を描き数年かけて完成させています。教皇やメディチ家など断りにくい筋ばかりから依頼があり、それに忙殺され、さらに20年以上経ってからこのシスティーナ礼拝堂の壁画(最後の審判)も依頼されています。すでに以前の巨匠によって描かれていた壁画を壊して新たに作れというほど、別格の評価をえていました。ミケランジェロ自身は彫刻家であり、ピエタ、ダビデ像、モーゼ像などが主たる作品ですが、当然陶板にプリントして再現する大塚国際美術館では彫刻は再現していません。ミケランジェロはその他、建築家としてもローマのサンピエトロ大聖堂などの多くの設計も行っています。多岐に渡る圧倒的な作品量、政治家としても働き、イル ディビーノ 神のごときミケランジェロ、と存命中から呼ばれていました。

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ミケランジェロ システィーナ礼拝堂 天井画 1508-1512 
ものすごくたくさんの対象が描かれているし、いちいち、説明もできませんが、ここでとにかく驚くのは、この明るさ、この鮮明さが500年以上も保たれていること。画面中央に剥がれているところが確かにありますが、全体の印象を悪くするほどのことはない。石の上に描く壁画の場合、大抵フレスコ画とです。漆喰を壁の上に塗り、それが乾かぬ間に水性の顔料で描く。漆喰が乾く過程で生じる水酸化カルシウムの作用で顔料が壁に直接定着することで、顔料の発色が最高度に活かされ、水にも溶けなくなり極めてその後の変化が起こりにくくなるということです。ただし、漆喰が乾かぬうちに描く必要があり、1日で描ける量が限られ、さらに、乾いてしまうと塗り重ねができないので、修正する場合は漆喰もろとも剥がさないといけない。そういうことで、構図、配色など緻密な計画が必要となります。あまり弟子に任せられないミケランジェロはほとんどの部分を自分で描いたそうです。何年もかけ、統一した感覚で、集中力を保ち続けるというのは、職人気質が多分に入っており、神の領域と思われたのも頷けます。

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↑ミケランジェロ
システィーナ礼拝堂 壁画 最後の審判 1536-1541
 聖書には最後の審判の日には死者は蘇って、裁きを受けて天国にいくか地獄に行くかが決まると書かれているそうです。天井画からは30年くらい経って完成したもの。私自身は絵画としてのミケランジェロ作品にはさほど惹かれないのですが、その時の状況などを知るにはやはり非常に興味深いです。下の方が地獄で上が天国。落とされていくのは地獄行き、上の方へは天国行きということです。天井画も含めて、礼拝堂で非常に長い時を過ごしてもまだまだ見るべきものがあるほど多くのものが描き込まれています。中央上部の男女はイエスとマリアということのようです。

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↑日本の地獄絵図にも通じる、鬼のようなものがいます。

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↑これもまた鬼。悪魔ということでしょうか。

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↑体の表現。裸体と着衣のものがありますが、元々はすべて裸体だったらしい。ミケランジェロは彫刻が本業ということもあり、肉体表現が大好きです。しかし、ルネサンス期であってもバチカンではそれは非難の対象ともなったようで、最終的にはミケランジェロの弟子が全ての人物の腰の部分を布で覆ったらしい。その弟子はミケランジェロがイル ディビーノと呼ばれたのに対し、イル ブラゲットーニ(腰巻野郎)と呼ばれたといいます。現在、裸体でない人物がいるのは、修復作業を行ってもフレスコ画は保存が良くうまく取り去ることができない部分があるためらしい。

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↑地獄の裁判官ミノス。顔のモデルはバチカンのチェゼーナ儀典長と言われています。ミケランジェロが描いたものが全裸だったものに大反対。ミケランジェロは悪魔と馬鹿の象徴のロバの耳を付け、罪の象徴の蛇を巻き付かせ、性器を噛み付かせています。

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↑聖バルトロマイ。異国で皮を剥がれて殉教した聖人ということです。剥がれた皮と一緒に描かれることが多いそうですが、この剥がれた皮の顔は聖バルトロマイとは異なっているようです。この顔は実はミケランジェロ自身の顔で、膨大な仕事をさせられ、文句もつけられ、抜け殻状態であることを込めているそうだ。

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↑ラファエッロ アテネの学堂 1509-1510
システィーナ礼拝堂のミケランジェロの天井画と同時期。やはりバチカン。
これも明るい爽やかな色彩が印象的。中央左の赤い衣服のプラトンはレオナルドの顔とされていて、手前で肘をつく男の顔はミケランジェロであるという。なおラファエッロ自身は、一番右の白い帽子をかぶっている男の左隣の男であるそうです。ラファエッロは37歳で亡くなっているものの、作品の数はレオナルドよりもはるかに多い。

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↑レオナルド ダ ビンチ 
最後の晩餐 1495-1498 (修復前)
ミラノにあるとある修道院の食堂に描かれた壁画。レオナルドの代表作の一つとして極めて有名ですが、これまでに紹介したミケランジェロやラファエッロの壁画と比べると保存状態がひどい。カビが生じて剥がれてきている箇所がおびただしい。これは、レオナルドが壁画として最適なフレスコ画の技法を学んでいないこと、彼の芸術的な特徴である重ね塗りがフレスコ画ではできないため避けたかったこと、壁画には試されてこなかった技法に挑戦してしまったことによります。テンペラ画という油彩の技法を採用しましたが、描かれた場所が食堂ということもあり、カビが生じてホコリも付着しやすく、レオナルドの存命中から劣化が始まったそうです。このような失敗や依頼を受けても納期が守れない(自身の芸術性により満足できるまで完成させない)こともあり、存命中のレオナルドの評価は高くなく、続く世代への影響も大きくありませんでした。

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↑1977-1999の修復後
劣化が激しかったために、後の画家により多くの加筆などがなされており、それら全てを除いて、描かれた当初の作品の再現をできるだけ試みています。しかしながら、修復不能の部分もあり、保存の良い油彩画、ドローイングと比較すると細かな描写は再現できていません。

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↑レオナルド ダ ビンチ
聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ ~1500 ドローイング
何かの油彩画のための下絵とされていますが、これを下絵とした絵は存在していない。この陰影表現から来る表情。私自身はモナリザよりも深い感銘を受けます。

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↑この表情、眼差し、これはこれまでになかった。レオナルドが成し遂げたことがすごい。

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↑レオナルド ダ ビンチ
モナリザ 1503-1506
世界一有名な絵画。依頼を受けて作成にかかりましたが、時間がかかり納期を守ることができず、最終的には自分が所持していました。そのため、もはやモデルに似せることよりも、自分の好きなように描いた可能性があるようです。筆の跡は全くなく、物凄い回数の塗り重ねによって境のない濃淡がつけられています。この技法がスフマート。

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↑レオナルド ダ ビンチ
洗礼者聖ヨハネ 1513-1516
レオナルドの最後の油彩画で、死後手元に残されていたそうです。後世に大人気となる強烈な明暗法(キアロスクーロ)が見られています。含み笑いはレオナルドが好んでいたようです。

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↑ミケランジェロ 
ドーニ家の聖家族 1503
ミケランジェロとレオナルドの絵画に対する捉え方の違いがよくわかります。色彩は鮮やかで輝かしく影がない。おそらく、ミケランジェロの本業が彫刻家であることによるのでしょうか。陰影や明暗なら彫刻によって本当の人間と同じものを生み出せる。絵画の特徴は色彩による印象を操ることができることということでしょうか。依頼者への納期などあまり考えず、アーティストとしてひたすら表現を追求していたレオナルドは絵画でも常に理想に近づこうとしていたのでしょう。

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↑ここからはイタリア以外でのルネサンス。アルブレヒト デューラー
自画像 1500
現在のドイツ南部、当時の神聖ローマ帝国、帝国自由都市ニュルンベルクに生まれたデューラー。1500年頃はイタリアではレオナルド、ラファエッロ、ミケランジェロが活躍していた頃。ドイツでは活版印刷の発明などの新技術の台頭、帝国自由都市として自治を行うプライドと気概、その後に宗教改革が始まるなど、絶対的な有力者の依頼を受ける形とは異なる芸術が育つ土壌がありました。デューラーは金細工職人の息子で、その職人としてのトレーニングの後、描画の才能を生かす道に進みます。新しい技術や思想にも敏感で、自意識も高く、非常に多くの自画像を残しています。この自画像は28歳のとき。この若さの自画像であるので、当然依頼されたものとは思われない。そして、真正面の像というのは、従来イエスを描く場合の約束であり、若いデューラーはこれからイエスのように自分をしっかり律して行かねばならないという自覚を表明したかったのでしょうか。

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↑自分のイニシャルのロゴのようなものと年代。自己主張が強い。デュラーは自分の著作物に対する知的財産権に関する裁判を行った最初の人ということです。

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↑目立つところに書き込みもあります。依頼に合わせて描くのではなく、自己表現ということでしょうか。

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↑ハンス ホルバイン
大使たち 1533
ルネサンス期のドイツの画家で肖像画家としての名声が高く、後にイングランドで宮廷画家として活躍しています。歴史の教科書のエラスムス、トマス モア、ヘンリー8世などは大抵ホルバインが描いたものです。当時のイングランド王ヘンリー8世はイギリス史上でも最も教養が高かったと言われていますが、むしろ、6度の結婚、それを巡ってのローマカトリック教会からのイギリス国教会の独立、妃を含めて側近など多くの人の処刑などから好色、利己的、無慈悲という評判がまさっています。そのヘンリー8世の最初の結婚の無効、2回目の結婚を認める、フランスからの使者を描いたもの。ルネサンスは大航海時代に重なり、天球儀、地球儀、日時計などの最新の製品も見られます。二人の使者はおじさんのようですが、まだ20代らしい。彼らの服装も当時の頑張った、権威を示すものでしょう。彼らの足元に見られる物体は、西洋でよく使われるドクロで、しかも右上から見てようやくそれらしく見えるように、引き伸ばして描かれています。

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↑このように見えます。ドクロというのは、メメントモリ(死を忘れるな)という警句で、絵画でもよく使われています。いのち短かし恋せよ乙女、のような意味ですね。普通でない特定の方向から見れば、というのもいつの間にか迫っているというようなことを表現しているのでしょう。当時は騙し絵も好まれて使われていました。野菜や魚で人の顔を描いたようなアルチンボルドも少し後の年代の人です。

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↑ピーテル ブリューゲル 今のオランダ
子供の遊び 1560
当時の子供の遊びという題材は風俗としての資料価値も高い。宗教画が中心だったイタリアルネサンスとこの北ヨーロッパのルネサンスとの違いは大きい。富裕な市民の台頭、宗教改革の中、今までには考えられなかった題材に興味が向いているということだろうか。

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↑ピーテル ブリューゲル バベルの塔 1563
教科書で見た絵。私からするとルネサンス期以降のいつの作品と言われても信じてしまうような、明確な時代的な特徴がないように見える絵。ただ、バビル2世が好きだったので、この絵も好きです。

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↑ピーテル ブリューゲル 雪中の狩人
これも教科書に載っていました。風景を主体とした絵はルネサンス期から現れてきたそうです。雪景色ですが、なんとも暖かく感じます。


えーと。。。

お正月特番ってことでひとつ(笑)
手抜きどころか大作でした(笑) ま、私はコピペしただけですが(笑)

こんな感じで今年もよろしくお願いいたします(^^♪


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