「電撃のリズム」フアン・ダリエンソ楽団
1930年代のアルゼンチンで「電撃のリズム」と称される独特の演奏スタイルを武器に大人気を博したのがファン・ダリエンソ楽団です。
日本では「タンゴといえばまずダリエンソ」という時代もあったほど、古くからの根強いファンの多い楽団ですね。
「踊るためのタンゴ」という側面を極限まで研ぎ澄ましたその強烈なビート感は一度聴いたら忘れられない独特の魅力を持っています。
一糸乱れぬ正確さできざまれる軽快で鋭いスタッカートに、ピアニッシモからフォルテッシモまで変幻自在のダイナミクス、10人以上の人間が演奏しているとは思えないほどの驚異的なアンサンブルです。
フェリシア(Felicia)/エンリケ・サボリド作曲
実は賛否両論?
タンゴのリズムの要素を極端なまでにディフォルメしたような演奏は、しかし好みがわかれるところでもあるでしょう。
アストル・ピアソラはダリエンソのスタイルを毛嫌いしていたことで有名で「いくら給料が良くてもダリエンソの楽団では演奏したくない」と周囲に語っていたそうです。
ピアソラの作品は「踊れないタンゴ」と揶揄されましたが、ダリエンソ楽団はそれとは逆に「踊れるタンゴ」をひたすら演奏し続けたわけですから、まさに水と油ですね。
もちろんピアソラだけではなく、あまりにもリズムに偏重しタンゴの情緒を無視していると、ダリエンソの演奏を好まない同業者も少なからずいたようです。
しかしダリエンソと真逆のスタイルであるはずの巨匠アニバル・トロイロはダリエンソを批判する声を聞いてこういったそうです。
「いま俺たちに仕事があるのはあいつのおかげさ」
タンゴを救ったダリエンソ
ダリエンソがタンゴの歴史にもたらした影響は少なくありません。
不況や外国音楽の台頭、人気歌手カルロス・ガルデルの急逝などが重なり、1930年代はタンゴの人気が低迷していました。
そのころに「電撃のリズム」を前面に押し出したダリエンソのスタイルが大衆に大受けしたのです。
タンゴの持つ抒情性やロマンチシズムといったウェットな部分をそぎ落とし、徹底的にリズムと歯切れの良さに特化して古典作品を蘇らせたダリエンソ楽団の演奏は「ダンスミュージック」としてのタンゴの人気を再燃させ、再び人々の目をタンゴに向けさせました。
そしてその勢いに後押しされるように、時代はタンゴの地位を確固たるものにした1940年代の黄金時代に向かっていきます。
映像で見ると、前傾姿勢で団員をにらみながら腕を振り回し、ソリストにもからんでいくダリエンソ御大のキャラクターも強烈!
「リズムの王様(El Rey del Compás)」という異名も納得です。
日本ではタンゴ=ダリエンソ?
それにしてもなぜ日本の古参のタンゴ・ファンにはダリエンソ楽団のファンが多いのでしょう?
タンゴの中でも特異な地位の楽団ですから、アルゼンチンの方からすると少し奇異に感じられるようです。
以前お会いしたタンゴ愛好家の方は「40年代に活躍したトロイロ楽団などは日本は戦時中で情報が入ってこなかった。ダリエンソは戦前から知られていたのでもともと人気があった。」と持論を話されていましたが、なるほど要因のひとつのようにも思えます。
もちろんそれだけではなく、ズンズン響くリズムの妙や、からっとドライな雰囲気、行進曲のように一糸乱れぬ演奏というのは、日本人の好みにもぴったり合ったのかもしれません。
受け継がれるダリエンソ・スタイル
このダリエンソ楽団の伝統を現代に受け継いでいるのが、【ラ・フアン・ダリエンソ (La Juan D'Arienzo)】という楽団。
ダリエンソ楽団のバンドネオン奏者だったカルロス・ラサリの孫、ファクンド・ラサリがリーダーを務め、現代的な解釈も交えつつダリエンソのスタイルを再現しています。
若い奏者が中心のようですが、ダリエンソ・スタイルの特徴である完璧なアンサンブルに加えて、若々しいエネルギッシュさも魅力的です。
これが王様だ(Este es el Rey) / マヌエル・カバジェーロ作曲
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