通勤で涙が止まらなかった私へ


いいことだけれども、年々忘れてしまうので過去日記として。

今から数年前、勤めていた会社を退職しました。
体が資本の書店の仕事を辞めると決め、内定を頂いた小さいけれどやりがいのある仕事ができる会社で頑張って勤めあげようと思った矢先でした。

4月の上旬に入社が決まり良く晴れ、桜が舞っている会社までの道のりの川沿いですごく浮かれていたのを覚えています。
出社して面接でも会った女性の上司Aと会いその後スムーズに社内の全員に挨拶を済ませ夜にそのまま歓迎会と名を借りた小さな飲み会をしてもらいました。

挨拶の時点で数人の役職の方に連絡先を聞かれてプライベートのLINEを交換していました、駅まで遠いから、最寄りの路線が事故が多いから、何かあったらと全員から言われました。

飲み会の後に甘いものを食べに行こうねと他部署の上司からメッセが入っていたのを曖昧な返事のままにしておいたら飲み会が長引いて私はそのまま終電で帰宅することになりました。
帰りの電車の中で「〇〇さんの話が長くて遅くなっちゃってごめんね、今度アイスクリームを食べに行こうね」とメッセが入っていたので当たり障りのない定型文のような返事をしておきました、こうして初日が終わりました。

仕事内容は私にはとても楽しいものでした、私の部署の上司Aは先述した通り女性で朗らかで子育てをあらかた終えた穏やかな方で今後とても救われることになりました。

アイスクリームに誘ってきた上司から毎日メッセがくるようになりました。

「愛しのおこめさんおはようございます♡」

「おこめちゃんと俺が車に乗っています、俺たちが乗っている車がカーブで落とした物はなーんだ?」

「おこめちゃん、〇〇の件やっておいたよ♡」

「今日はかわいいワンピースだね♡お出かけなのかな♡」

「社員旅行で俺たちだけ抜けて夜景を見に行こうか♡二次会なんてつまらないからね」

すべてのメッセを定型文の返信で済ませ2ヶ月くらい経った頃に上司Aに報告しました、すぐに内容をコピーして控え、それ以外の行動を含めて上へ連絡してくれました。

その日の昼に人事の2名の方と外でランチをと言われ、外出してきているすべてのメッセージと両手を広げて待っていること、自動販売機の前で俺の買ったジュースが飲めないのか毎日言われること、お客様が来ていても下の名前で呼び捨てしてくること、私を駅まで送っていくために毎日待伏せして私を誘う時の振る舞いが横暴なこと、を説明しました。

人事の方から「すごく気持ち悪いね、不愉快だったでしょう。話してくれてありがとう」「以後も何かあったら教えてください。」「自転車を貸与するのでそれで通勤して接触を避けてください、社員旅行の際もこちらで考慮します。」「全部署全社員にセクハラについての研修を行います」等の説明をしてもらいおいしいお蕎麦を食べて帰社しました。

次の日からアイスクリーム上司に無視されるようになりました。

挨拶 業務での伝達 雑談 存在 全て無視されるようになり、業務に支障が出るのでアイスクリーム上司と接する業務を上司Aが引き受けてくれることになりました。

社員旅行の班割などの変更が伝えられ私とアイスクリーム上司は同じ車に乗ったり接したりすることがなくなりました。

社員旅行はとても楽しく過ごせました、温泉や子会社の人と交流を深めて
羽目を外すいつもはまじめな人を見てこれも社会人しぐさなのだなと学びました。

アイスクリーム上司に無視されているのが顕著なのでアイスクリーム上司と仲の良い先輩が声をかけてくるようになりました。
「一回ヤらせてあげれば優しくしてもらえるよ」
を皮切りに毎日執拗に後ろをついてきて卑猥な単語を囁いてくるようになりました。

アイスクリーム上司は機嫌が良いと私に話しかけに来て「父親と俺どっちが好き?」「送っていくから車に乗って」「おこめ、ごはん買ってあげるよ」「俺はおこめちゃんが幸せになれるようにいろいろと話しかけているんだよ」と言うようになりました。

セクハラ研修と呼ばれたものは行われませんでした。

アイスクリーム上司と仲の良い先輩を、先輩Aとします。
その先輩Aと仲の良いメーカーの営業の人が毎日来るのですが、どうやら何かを吹き込まれたらしくそろって卑猥な言葉を繰り返すようになりました。

その間も上司Aはずっと守ってくれていましたが、年末に食事に誘われ上の人から勤務日数が少ないのではないかと言われたと話がありました。
上司Aが出勤しない日に出勤すると、上記内容のことが1日中続くので出勤が厳しいと話しました。理解してもらえ、そこから年末休みまで少し考えようと話し合いをしました。

次の日もコピーを取るためにコピー機の前に立っていたら両サイドを先輩Aと営業の人に取られ、ステレオで「セックス」と繰り返されました。

そのままその日を過ごし帰り道、会社の最寄り駅から自宅の最寄り駅、自室のベッドまでずっと涙が止まりませんでした。

もう何日も朝ご飯と夜ごはんを食べられていませんでした、会社では心配をかけてしまうからとお昼ご飯をバケツに砂を入れるように詰め込んでいました。
毎日笑って普通に過ごしていました、無視をされてもひどいことを言われても挨拶や敬語や丁寧な態度を心がけていました。
そこから年末休みまでの数日間、どう過ごしたか覚えていませんが朝行けたら帰りの電車で飛び込もう、帰れたら明日の電車に飛び込もうと思いながら気づいたら役員の人がふるさと納税でたくさんもらったという日本酒をお土産に年内の勤務を終えていました。

母や父には話せなかったことを、年始に本家の叔母に涙をこらえながら台所でぽつぽつと話したらさっさと辞めてしまいなさい。困ったら言いなさい。
と予想を上回る勢いで今までのことを蹴散らしてくれました、年始の休み明けに私は出勤できませんでした。

上司にはメールを入れて眠り続けました、退職届のこと、会社に残っている荷物の事、保険の事、諸々説明され覚えてないのですがどうしても私には一身上の都合により、という退職届を書くことができなかったので労働基準監督署、で検索して出てきた電話番号に連絡して相談したら退職届を書かずに保険が終了できるようにしてくれました。この辺りも本当によく覚えていないので、どうして電話一本で済んだのかわかりません。当時の担当の方、泣きながら話す私の理解できない言葉をくみ取ってくれて、本当にありがとうございました。

会社の少し離れたところのファミレスで上司Aと仲良くしていたパートさんと待ち合わせて荷物を受け取りました、みんなで食べたあったかいファミレスのご飯はおいしくて、悔しい味がしました。

入社が4月上旬、退職が翌年1月。8か月ほどしか在籍できませんでした。

上司Aに、人事の人が「どこに行っても同じ目にあう、こんなことで音を上げるのはおかしいことだ。」と話していたと聞きました。
「辞めて正解だ、守ってあげられなくてごめん。何もできなかった、本当に申し訳ない」と言われました。心からのお礼を言い、挨拶をして二度と来ないであろう駅を出ました。

家に帰ってあったかいご飯を食べました。

私が在籍している間にアイスクリーム上司が骨を折り、役員が救急車で搬送されて体を縫い、先輩Aが精神を蝕まれ1か月出勤できないことがありました。

私は辛い思いをした日に毎日通っていた氏神様のところへ、お礼の挨拶に行きました。

その後数か月のフリーター期間とニート期間を経て、めでたく今の会社に声をかけてもらい社会復帰することができました。
そんな事情なら、最初はお客さんとうまく会話できなくてもいいから裏方の気分でうちで少し働いてみない?と声をかけてくれたバーの店長、人柄が良いから、ぜひ。と承諾してくれた学習塾の採用担当の方、ありがとうございました。自信を失ってどん底に落ちずにいられたのは働く場所がずっとあったからだと思います。

あの頃の私へ

たくさん傷つけてごめんね

これからはたくさん幸せになろうね、まだ人を呪うことをやめられないけど

そういう自分とうまく生きていこうと思っています

これからもよろしくね

私より



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