うしおととらと岸田劉生(岸田劉生の展覧会を見てきた)
岸田劉生:洋画家。吟香の子。東京出身。白馬会研究所で修学。フュウザン会、草土社の創立に加わり、春陽会の客員となる。後期印象派やデューラーの影響をうけ、のち、浮世絵や宋元画の様式をとりいれて、精密な写実性と深い精神性を追求した独自の画風を樹立。とくに、娘の麗子をモデルとした肖像画で知られる。代表作に「切通しの写生」「麗子微笑」、著に「美の本体」「初期肉筆浮世絵」など。明治二四~昭和四年(一八九一‐一九二九)(精選版 日本国語大辞典より)
実の娘の麗子を描いた麗子像で有名な岸田劉生展を京都国立近代美術館(公式HPはコチラ!)で見てきた。写真で見た記憶のある麗子像は精緻で確かに美しかったけれど、スケッチのようなさらさらとした筆致の麗子の絵の方が、れいこちゃんを描いた絵、と呼べそうですごくよかった。麗子像が、2人麗子像に、それから3人麗子像までいったときには、このまま何人まで行くか楽しみになったが、3人までで終わってしまった。
絵のことは全然わからないけれど、彼の人生における変化によって描く対象が変遷していくのが面白かった。例えば、
・銀座に生まれて、療養のために鵠沼へ、それから震災の避難先として京都へ、また療養がてら鎌倉へ、金を稼ぎに中国へ、それから病気のために徳山へ。場所が移り変わるから、描く風景も変わる。
・初期作品には風景画が多くあったが、病気のために外での創作ができなくなって、静物画を描くようになる。
・キリスト教徒でもあったから自身の聖母像を描く。
・子どもができたから、れいこを描く。
こんな風に人生の変遷とともに絵が変わるのを見れるのは楽しかった。展覧会の説明のどこかで「岸田劉生は好きなものしか描かなかった。だから自然に友人たちをモデルにした」というような説明があり、友人やパトロンの肖像画をたくさん描いたのも面白かったし、様々な絵の根底に「好きなものを描く」ということがあったのかと思うとなぜか嬉しくなった。
個人的には一見四水という絵が一番好きだった。一水四見という仏教用語からもじった絵で、一目で四つの水の風景が楽しめる。①釣りとお酒、②夏の水浴び、③冬(秋?)のこたつに湯気と酒、④それから冬のお風呂。四季と水、という描き分けだったのかなぁ。一水四見の意味は自分のお勉強のためにも以下のとおり。
一水四見:例えば川を見たときに、①天人には美しいガラスのように見える、②我々人間にはそのまま水に見える、③餓鬼には血膿に見える、④魚には住処に見える。かように、ある対象物が見る主体によって捉え方が変わること。仏教用語。
カチッとしたイメージの風景画や静物画ばかりだったらどうしようと思ったけれど、柔らかな麗子の絵や、駄洒落のような一見四水の絵なんかもあって、絵を知らない自分にとっては大変楽しめました。狙って展覧会に行くのではなく、今やっている展覧会から行けるタイミングで何となく行くのも楽しい。いっつもこんな上等な趣味に興じているわけではないです。また行きたいものです。
あ、書くのを忘れていた。ものすごいニッチな話。うしおととらの羽生画伯は岸田劉生がモデルだと思いました。娘の名前も礼子だし。色々読んでみると、岸田劉生にはかなり潔癖症のところがあり、汚れた手を見て「腕を切り落としてくれ!」と言ったというエピソードもどこかに書いてありました。藤田先生はそういうところに狂気性を感じたんだろうな。あとは、愛娘麗子の精緻な絵や、何度も「好きな」対象として麗子を描いたことにも少しの狂気を感じ、藤田先生が肉付けしつつ羽生画伯のキャラクターを作り上げたのだろうなと。鬼になった画伯が、最後は潮に頭を下げるのも、温かい画風の絵がたくさんある岸田劉生から、その絵に対する真剣性や狂気性の側面と優しさや親としての側面、その両面を見て最後には優しい画伯に戻ったんだなぁ。
ってか、誰がこれ興味あんねんと。最後まで走り切りますが、うしおととらのエンディングでさとりとか鬼の腕が異界から出てきたときは涙が出ましたよね。
(了)
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