人生とは自分を好きになる作業なんじゃね?説 ②
さてさて
前回は「自愛」って一体全体なんのことなのか?というのを少し紐解いてみたのだけど、、、私ちゃんと説明できてたでしょうか・・・笑
前回の→人生とは自分を好きになる〜①
私は2ちゃんで有名な詭弁さんに結構感化されてまして、大物の人が心配するような影響力もないので(笑)詭弁抜きで学んだことを書いていきたい。この法則が本当かどうかも、私も生きながらに検証中なので皆さんシェアしていきましょーーーー
自愛=自分が創造主であることを思い出す=自分が世界の作り手=世界の摂理を決めるのは自分=世界の良い悪いを決めるのも自分=俺が宇宙だ(?)=創造主である自分にはダメなことなんてないそれはただの幻想=ダメを作って他人との関わりを思う存分楽しんでる「わたし」
あれ、なんか脱線してきたww
こんな感じでして。もちろん、自分を褒めたり責めたりしないことも「自愛」なのですが、「自分は創造主である」ことを思い出すだけで褒める必要も責めないようにする必要もないことに気づきませんか。
要はそれをやろうとしなくても、褒めなくても自分は完璧だし、責めないようにしなくてもそもそも責める必要がないことを一瞬で理解してる、それを受け入れることができる自分になるからなのですが。。
だって自分が創造してるんだもん。
褒める箇所=プレイヤー視点だよね?
このニュアンス伝わるだろうか?涙
自分が全てを作ってるとしたら何がどう起こるのか?ちょっと考えてみて欲しいんですよね。
「動かないなぁ壊れてるのかなぁ」と思ってるオモチャがあるとする。みんな「壊れてる」って思ってるから直そうとするんです。メーカーに電話したり、電池取り替えようとしたり。色々やってみる。でも直らない。なんでぇぇぇぇ。でもね、ある日誰かにフッと言われて気づくんです。
っえ・・・・・・・?
なんで動かないんだよ!って責めてたやん。。。?
あっそうなん・・・ぬいぐるみなん。。。
せやったら最初から壊れてなんてないやん。。。修理必要ないやん。。動かないのが普通やん。。みんなが壊れてるっていうから。。。信じてたやん・・・
いや、ゆーて本当はこれぬいぐるみじゃないかもしんないじゃん!!!!!
ワイは信じないかんな!!!!(意地
(これは思い出す、の捉え方としての例です)
壊れてると思いながら、その「おもちゃ」に対して「壊れててもいいよ」「でも君を大切にするよ」「修理諦めるよ」とかやってもいいけど、ぬいぐるみだって気づくほうが早いでしょ?最近は、「壊れててもいいよ」とかやってると直るよ!ってなってるからダメやねん。「直る」じゃなくて壊れてないんだってば!
自分が創造主であることを思い出せば行動全てが「自愛」になるのですよ。
自分で好きなように生きれない作れない、自分は欠陥品だ、そんな思考や気持ちがあるから、だから「自愛」が必要なのですよね?だから「自愛」という「行為」が必要になってきますよね?
創造主でないから必要な行為なだけなんです。本来そんなことしなくてもいいのですよ。多分。知らんけど。
だからつまりは
に私は行き着いたのですよね。もう自己否定はベースになっちゃってるからさ。そこからのスタートという意味でね。
世界に自分は一人とわかっていても、他人と関わりたいし、関わるからこその幸せや嬉しさや楽しさが生まれる。ならば、どうしても焦りや不安や恐怖が生まれる。感じざるを得ないのです。
その中で自分が最強で完璧で全知全能の愛の人間だと立ち返ることができるように、日々思い出す作業ができるようになれば最強の人生とメンタリティなんですよ。で、それをみんな「一生」の最後まで行うんだと思います。
最終ゴールってやっぱりそこだと思うんです。死ぬまで人はきっと、幸せや楽しさや優しさや嬉しさなどの愛を求めて生きていく。
内側が全部外側に反映されて現実化するなら、「全て完璧!自分大好き!最強!」と思うことができれば世界がそれを返してくれる。
誰かに依存することも、返ってこないラインに一喜一憂する必要もなくなるのです。
うまく言葉にできなくてすみません。
焼き土下座。愛の馬鹿野郎。
でも、だって、の後に続く言葉は自分や何かを否定する言葉。
「でも、◯◯くんがこうしてくれないんだもん。」っていう気持ちに対して、大抵の女性は表面で彼を悪者にしがちなんだけど、「相手にこうされない私」が出来上がってるのがわかりますかね?
わたしの何かがダメで、こうしてくれないんでしょ?
ってどっかで思ってるはず。彼が悪いんじゃないんですよ。「私は人に○○して貰えない」という思考そのものがそれを引き寄せ、それはすなわち「自己否定」なのです。アーメン。
ダメンズウォーカーとかすごい昔流行ったけどさ
ダメンズ引き寄せちゃう何かが変わってるわたし。てきなね。そんな自分を否定するような思考がそもそもなければ、そんなこと創造しなくて済むでしょ。
彼でも近所のばーちゃんでも同僚でも友達でも、「私は誰にでも優しくしてもらえる人間なんだ」っていう思考があれば「こうして貰えない」なんて思考出てこないと思うのね。
たまに何かをして貰えなくても、特にそこに注力することなく
あはは\( ˆoˆ )/で終われるんですよ。
と言う、ヨナ式自愛?でした。。。
あくまでも私が上手くいったやり方の紹介ですからね
私は自愛とはこれだ!と閃いたあと、望まない何かが目の前に広がった時、例えば好きな誰かからレスポンスがない時とか(気にしちゃう時って大抵自己否定入ってます)
私なんかしちゃったかな?→私は創造主。私は完璧。私のことを誰も否定する権利はない。目の前の現実は私にとって都合のいい展開。この世界の作り手側の私が、私が作った登場人物の一人に私のことを否定されてたまるか。ないがしろにされてたまるか。それって自分で自分のこと陥れてるやん。だから大丈夫。私は神だったあーそうだった創造主だったそうだったー
って一生やり始めてから、ぐんぐん背景が変わって行きました。
結果多分この作業が巷でいうアファになったんだと思うねん。
ではパイなら。
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