マーケティングを勘違いしてはいけない。 軽視して敬意を払えないなら生産者としては未熟ではないか。 育てる価値があるかは、言動や行動、振る舞い、姿勢、眼光で判断される。 真剣であること、初心を忘れず。 間違える者はどの瞬間も間違える。 学び。尊し。
あの、ふわっと心臓が浮く感じ、だめだ。居心地が悪い。 定位置にある心臓、すくいとられる。 いつもよりすこし高い声。 いつもより、ずっと早口。 リズムが乱される。 知ってる人が、知らない人になる。 内心誤魔化しの術。と呼ぼう。 対象の心臓つかみにかかってる姿。
愛宕(あたご)神社の出世の石段を登った。 はじめての体験だった。 出世について、鈍感に生きてきた。出世って、どういうことだろう、ってやっと真剣に考えはじめたのが2020年コロナ禍渦中。 外出自粛を促され、行動に新しい制限が加わったタイミング。 体感覚でこの愛宕神社が示してくれたような気になった。 世に出るって、一歩一歩、一段一段、地面踏みしめて、後ろを振り向くことも、上を見上げることも出来ない、ただ、足元にある石段を確実に捉え自分の力で自身を持ち上げる事、と教えてい
揚げ足を取るだけで、そこに寄り添う意見や言葉が聞こえてこない。 これはなんだろう。 身近な友人を思いこの記事を書こうと思い至った。 自分の道を気ままに歩いていた。そんな時、突然に足を救われた感覚に歩みが止まる。世界が突如として侘しさや虚無感という闇の中に放り込まれる。 疑問に思う点に反応することは気付きをもたらすヒントになったり、問題提起するきっかけにはなるけれど、同時にその対象を闇や沼に突き落とすような、泥や絵具を塗るような、人の在り方に無許可で手入れをする行為にも
#自分にとって大切なこと 陽気であることと、陰気であること。 陽気は自家発電、直発光して、自分の内側から外側へエネルギーを放出する太陽に似た感覚。 陰気は、本来あるものを隠すような、満月の裏側のような、光が当たらない恥ずかしい部分やコンプレックスに思う感覚。曇りや雨の日のような、自分と向き合う孤独な時間。 天候や気候から影響を受け、精神や状態が揺れることで、自分軸を知り、肉付け、削ぎ落とし、実体として自分自身がこの世界に表面化する。
ああ、これが社会か、とおもわず口から漏れる。 適合することに抗う。できるだけ透明になろうとする。ガラスか、スライムか、大海原か。 適合ではなくこれは中和かな。 愛はあらゆる細部に入り込んでは傷を負う。 愛が負傷して、 図太くなることも、 繊細になることも、 平坦になることも、 自由意思で選択は可能。 地底でマグマに似た熱が滾れば、我が主張が各方面からあれば、地盤は揺れる。 地から足を離して浮かべば肉体に影響はない。 揺れて、破れて、補う。これで一層。
心に隙間。 ぽっこりできた。 それは少しずつ大きくなって。 元あった心が削られて知らないカタチになる。 心はどんな風にカタチ作られていくのか。 少し時間が経つと知らぬ間にまた膨らんでいる。 発酵させたパンのタネみたい。 これはどのような生き物か。 わたしが身を置いてるこの世界は、わたしの手には負えないと感じる。 好きな瞬間はある。快晴の青空とぽかぽかな陽気。 こんな日は、自分だけじゃなく目に入るすべてのものが生きてる!生きてる!!って活性する。歓喜!なんてあたた