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露悪の時代をこえて

今月、『危機のいま古典をよむ』(而立書房)と『ボードゲームで社会が変わる』(小野卓也さんと共著、河出新書)をほぼ同時刊行するのを機に、note をはじめてみることにしました。しばらくは、掲載・出演情報を「おまけ」をつける形で告知していきたいと思います。

一部書店にて、而立書房さんが作成して下さったリーフレット「全自作解題 2009-2023」を配布中です。そちらに寄せたエッセイを、まずは再録して配信します。

露悪の時代をこえて

 ある種のネット広告のように、言論の世界でも「露悪趣味のCM」が増えている。

 立派な肩書があるはずの学者が、それに釣りあうとは思えない言動で世に出ようとする。お茶らけたニックネームでYouTubeを始めたり、奇矯な装身具をTVで見せびらかしたり、下品な口調でSNSを使って喧嘩を売りまわったりする。
 こうした人たちの口癖は、例外なく「日本はオワコン」である。なぜか。自分の国が終わった存在であってくれないと、彼ら彼女らのビジネスが成り立たないからだ。

「私ってうさん臭いでしょ? でもそんな私に、あなた方は頼るしかないんですよ。だって、もう終わってる日本の面倒をあえて見てあげるエリートは、私くらいですから」

 はじめから態度でそう示しておけば、楽ちんだ。いくら間違いを発信しても、大失敗をやらかしても、「だけど私以外、誰がいるんですか?」で言い逃れられる。

 今回出す2冊の本で、ぼくはそうした人たちに、NOを言いたい。
 正確には、彼ら彼女らが売り歩く言論ドラッグに依存しないと今日を乗り切れないほど、絶望的な自己卑下に漬かってしまったいまの社会に、違う道を示したい。

 『危機のいま古典をよむ』では、遠い昔に書かれたホンモノの書物から、いまを生きるヒントを読み出せるなら、当世のニセモノに課金する必要はなくなることを論じた。
 『ボードゲームで社会が変わる』(共著)では、いまどんな無力感の中にいる人であっても、排除されずに楽しみを取り戻せる実践があることを、ぼく自身の病気の体験を踏まえて語った。

 前者は、明日からひとりでも真似してもらえる、個人篇。後者は、どんな仲間をこれから作っていくかを考える、社会篇だ。

 1945年にも、2011年にも、日本はオワコンになった。だけどそのとき人びとが求めたのは、窮状に便乗して読者の自尊心を買いたたく卑しい言論じゃなかった。
 その初心をもう一度、取り戻したい。だから今回の2冊は、ぼく(たち)にとっての「復初の説」だ。

「與那覇潤全自作解題 2009-2023」
而立書房作成 

 末尾の「復初の説」は、もちろん有名な1960年安保の際の丸山眞男の講演(全集8巻収録)から採ったもの。
 紙媒体のリーフレットには、今回の2冊も含めた自著全17冊(共著を含む)について、短文での自己評価も載せています。ぜひ手に取ってくださることがあれば幸甚です。

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