バグダッド・カフェを観ました。

ずっと気になっていた映画『バグダッド・カフェ』をようやく観ましたので感想のようなものを書きなぐっておこうと思います。

私はシナリオ重視派ではあるのですが、本作はその点で言うとモヤっとしたものを多く残していくためシナリオ面ではあまり評価していません。
しかしそれを補って余りある雰囲気、画面づくりのセンスがあり最終的には満足しています。夕焼けのきれいな映画が好きという贔屓もあります。

【本作の謎について】
先人たちの感想や考察を軽く漁って読みました。ジャスミンとブレンダは表裏一体の存在という視点。レズビアンという視点など。
しかし、いずれも自分にはしっくり来ないものでした。そこで独自の解釈に辿り着きました。

【主役は"舞台"】
登場人物たちの言動から本作のシナリオを読み解こうとすると、どうしても「それはおかしい」という結論になってしまい、発想を大きく変えたところ自分の中でしっくり来ました。
それがバグダッド・カフェという舞台こそが真の主役であり登場人物たちの言動は些事であるというものです。

本作の原題は『Out of Rosenheim』。「ローゼンハイムの外」です。
このローゼンハイムは社会、競争や愛憎うずまく煩雑な人間社会と言い換えても良いです。つまりバグダッド・カフェはある種の外界、ちょっとした異世界と捉えました。
寂れているのにやけに美しい景色は幻想的ですらあります。一方で人との距離感が極端でちょっと変な人が集まる空間にはほのかな狂気が漂います。
本作をヒーリング効果があると評する人々がいるのも、そういったファンタジーのような一面が関係しているんじゃないでしょうか。

しかし本当に異世界なわけではなく人間社会と地続きでしかありません。なので保安官だって来ますし、ちょっとガラの悪い少年少女だって寄ります。
刺青の彫り師はある日「あんたたち皆、仲が良すぎる」と言い残しモーテルを去ります。彼女は社会から外れたいわけではない真っ当な状態だったのでしょう。また彼女の去り際の台詞はラストシーン「ブレンダに相談してみるわ」と対照的だと感じました。

バグダッド・カフェという安息の地にこだわる人々はどうも一般的な人間社会と距離を置きたがっているように見えます。そんな人々が寄り集まり新たに小さな社会が生まれている……そう見ることもできますが、それにしては「仲が良すぎる」点が引っかかるわけです。まるで巨大な統合意識と化すような不気味さがある。
だから、バグダッド・カフェという舞台が持つある種の呪いのようなものを描いているのではないか。私はそんな印象を受けるのです。


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