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20歳になったら死のうと思っていた

 20歳になったら、死のうと思っていました。

 現在27歳。あと数ヶ月で28歳になる。死ぬ予定だった20歳はもうとっくに過ぎて、あなたはこうして生きている。

 20歳で死ぬ予定を本気で立てていた事は誰も知らない。同僚も友人も家族も。あなたが勝手にそう決めていただけ。生きる事に疲れていた。24時間の中で繰り返し呼吸をしているだけの人型の個体に、何の意味があるだろうと。誰に問われた訳でもない、あなた自身が問うていた。

 思えばその20年の中で、何度自殺を考えただろう。リストカット、飛び込み、飛び降り、絞殺、刺殺、溺死。やろうと思えば出来た。実際に行動に移したこともある。死ねなかった。そりゃそうだ。だって、あなたはこの世界に少しの希望を抱いていたから。いつか何かが変わるんじゃないか、そう信じていた。

 学校はあなたにとって地獄だった。右向け右、左向け左。みんな同じ、違えば変な目で見られる。どうしてみんな同じでなければならないのか、あなたは解らなかった。思えば協調性が無かった。小学校低学年の通信には「落ち着きがない」と書かれていたらしい。正直良い思い出は無い。陰口だけではなく直接「〇〇ちゃんに言われたから友達やめよう」と言われた日には、踵を返して離れていく間におしぼりのケースが入った巾着袋を壁にぶつけて去っていったのを覚えている。嗚呼、懐かしいね。

 そんな中で唯一救われたのが創作物だった。本も音楽も映画も舞台も、登場人物が全員、フィクションの世界で生きている。羨ましかった。あなたもそっち側で生きたかったはず。始まりから終わりが決まっていて、その後は誰も知らない。そんな泡沫みたいで儚い世界にいたかった。傷付いて終わってもその先はないから。
 その世界に足を踏み込んだ時に、まんまと掬われ、救われてしまった。希望を抱いてしまった。こんなあなたを受け入れてくれる環境があるのかと。友人と呼べる間柄が出来た。仲間と呼べる場所が出来た。あなたという存在を許してくれる人が出来た。1人じゃないと気付けたのは、地元を離れてからだった。

 20歳になって、21歳を迎えた時に「あ、生きちゃった」と思った。死にたかった20年間、東京という狭くて広い世界に身を置いた1年間。居心地がいいと思ってしまった。日に日に増えた楽しみに、そこを糧に生きる自分がいた。遺した傷が消えることはなく、時にそれがあなたを蝕んでいくことでしょう。20歳までのあなたを正面から抱き締めることは出来ない。ただ、横で背中をさすることは出来る。腕を伝う赤色を拭うことは出来る。一緒に笑い合うことは出来なくとも、傍にいることは出来る。

 自分を殺す、と書いて自殺というなら、あなたは何度殺してきたでしょう。何度自分を殺して、何度明日に希望を持ったでしょう。

 20歳のあなたからすれば、今生きていることは有り得ないかもしれない。あんなに死にたかったのに、と。

 生きていてごめん。ただ、いつか神様か死神様が迎えに来てくれるその日まで、私はあなたといるよ。

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