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第13夜 街の景観と建築| TOPIC2 そこにありえたかもしれない風景(富永大毅さん/TATTA CO.,Ltd.)

この記事は、よなよなzoom#13:街の景観と建築(2020年11月21日)でディスカッションされたものを編集しています。

そこにありえたかもしれない風景(富永大毅さん/TATTA CO.,Ltd.)

自分の風景の根幹

富永です。よろしくお願いします。僕は2005年に東工大の大学院を出て、千葉学さんと隈研吾さんの事務所で3、4年ずつ務め、2012年に自分の事務所を開設しました。

今日はまず、大学院を出る前にミュンヘンに留学していた際の話をしたいと思います。僕は千葉県の出身ですが、東京で暮らしてきた期間が長く、景観と言われるほどの景観に触れてきたとは言い難いです。そこで、自分の景観の原体験がどこにあるかと振り返ると、留学中のミュンヘンの生活がベースになってるのかなと思いました。

1.ミュンヘンの風景㈰©︎TATTA CO.,Ltd.

ミュンヘンは非常にコンパクトな街で、街の真ん中にはイザ―ル川という大きい川が流れていて、春になると川沿いに人がいっぱい集まります。また、ミュンヘンは中央駅からそれほど遠くないところに、「オクトーバーフェスト」と呼ばれる、年に3週間だけ開かれるビール祭りのための広大な空き地が、そのまま残されています。そこでは、その期間だけ仮設の建物や遊園地が建てられます。

2.オクトーバーフェスト©︎TATTA CO.,Ltd.

また、ヨーロッパという事でサッカーとの距離が近く、水曜日と土曜日になると必ず町にはサッカーのユニフォームを着た人たちがあふれます。

3.ユニフォームを着る人たち©︎TATTA CO.,Ltd.

このように、僕はミュンヘンでの生活を通して、「さまざまな文化が町の中まで浸透している風景」に触れることができたんだと考えています。
また、ヨーロッパの街は、電車で少し走れば農業地の風景が広がっていて、日本とは異なり都市がスプロールしていません。日本では、3.11の際に、都市住民が「電気や食べ物がこんなところで作られていた」と初めて認識する、といった分断がありました。一方で、ドイツの生活では厳密にいえば遠くからの輸入品もあるのですが、基本ビールは地ビールだし、身近にいろいろなものがつくられているという実感に包まれていました。
こうした経験から僕の風景への認識が形成されました。景観という見えているだけのものではなく、「生活の中で人や物が街の中で繋がっている心地良い状態」を僕は風景と捉えているのかなと思います。

4.ミュンヘンの風景㈪©︎TATTA CO.,Ltd.

片流れの家

富士山の麓にある河口湖の近くの別荘地、僕が初めて設計した住宅を紹介します。南側に富士山があるので、まずは富士山に敬礼するかのように南が上がった片流れ屋根を作ることが決まりました。一方で、北側の駐車場やアプローチが雪で埋もれてしまうため、片流れ屋根をパキパキと折っていって、アプローチに雪が落ちにくくしました。結果として、その屋根形状がインテリアや内部空間にも現れています。

5.片流れの家㈰©︎TATTA CO.,Ltd.

6.片流れの家㈪©︎TATTA CO.,Ltd.

こうして片流れの屋根を折った時、雨を入口に落とすことを避ける目的で生まれたであろう千鳥破風や唐破風が別の手順を踏んだ結果としてそこに表れて玄関化するということが起きてると思って、自分の中に「実際の時間軸から分岐して、ありえたかもしれない別の時間軸上の建築を作っている意識」が生じました。
以来、そういう風に時間軸を遡って、そこに潜在的にある風景を引き出すことを常に考えるようになったかなと思います。

7.片流れの家の時間軸©︎TATTA CO.,Ltd.

8.片流れの家㈫©︎TATTA CO.,Ltd.

蔀戸のパレット

出版・印刷業に馴染みあるパレットを使ったインテリアで、街の風景をそのまま取り込みたいという趣旨のプロジェクトです。

©︎TATTA CO.,Ltd.

敷地のある文京区には出版社や小さい印刷所がまだたくさん残っています。出版業が廃れて、だいぶ数が少なくなってはいますが、ここでは未だパレットが山積みされたりしています。そもそも坪単価が20万円くらいしかない仕事だったのですが、中古で買ったりオーダーで作った3種類ぐらいのパレットでインテリアを作りました。

©︎TATTA CO.,Ltd.

©︎TATTA CO.,Ltd.

いわゆるシャッター街という風景は単に営業時間外なのか、本当に借り手がいないのか、よくわからない状況があると思います。そういう風景ではなく、「パレットが閉まっていることでシャッターの代わり」をするようになれば、もう少し豊かな風景になると思いました。

12.蔀戸のパレット内観©︎TATTA CO.,Ltd.

またこの場所はそんなに長く使わないという話だったので、そうなると原状復帰の観点からインテリアが負の資産になってしまうのを避けたい。そこで印刷業が発展して衰退する前の時間に遡ってパレットによる建物の風景を街に現し、解体する時が来たらまたパレットとして街に戻っていくとよいのではいうことを考えていました。
風景を考えるというのは長い時間軸の上で建物を考えるということだと思うからです。

13.蔀戸のパレットの時間軸©︎TATTA CO.,Ltd.

ドーマー窓の家

先ほど、「そこにありえたかもしれない風景」という話をしましたが、この建築の住宅特集掲載時に思いついた言葉です。場所は岐阜県の明智という街で、日本大正村と銘打って大正時代の建物を大事にしながら観光地として生きている小さな街です。

14.ドーマー窓の家周辺©︎TATTA CO.,Ltd.

敷地の前の通りはもともと国道で、商店街でした。通りの多くの家は、既に商店をやめてセットバックしてしまい、空いたスペースを駐車場か庭にしています。

©︎TATTA CO.,Ltd.

そんな街の中で、この建築では、建て替えにあたり、軒を通りまで思いきり迫り出しています。そうした操作によって、建て替える前の、商店を開いていた状態を少しだけ残し、そこにあったはずの街並みに参加することを試みました。

©︎TATTA CO.,Ltd.

17.建て替え後©︎TATTA CO.,Ltd.

ここで考えていたことは、街並みが後退していく前に遡って、ありえたかもしれない風景を構築できないかということです。また、商店を復活することはできないですが、軒を連ねていた商店街の記憶を背負った住宅を風景としてどうしたら作れるかを考えていました。

©︎TATTA CO.,Ltd.

そこで、小さいドーマー窓の意匠が多い大正ロマンの街並みに着目し、肥大化させたドーマー窓を南側から光を取り込むロフトとする計画にしました。そのため、通り側に寝室が来て奥がリビング・ダイニングになる普通と逆の平面計画になっています。

19.ドーマー窓の家内観©︎TATTA CO.,Ltd.

20.ドーマー窓の家平面図©︎TATTA CO.,Ltd.

垂木の住宅/四寸角の写真スタジオ

「垂木の住宅」は、無垢の垂木材を積み上げて、マンションの内装を作る計画です。

©︎TATTA CO.,Ltd.

集成材やCLT、合板をつくるためには、短伐期皆伐施業といって山ごと伐採される風景が生まれます。丸太は買い叩かれるので、再造林のお金もつきにくい林業のあり方です。それに対して、奈良県の吉野の森には細い木や樹齢200年を越える巨木など、いろいろな樹齢の木が混在して林立している風景があります。この風景は、木が細い状態から太い状態になるまでに、少しずつ伐採・製材することでできる風景で、これを長伐期択伐施業と言います。

©︎TATTA CO.,Ltd.

©︎TATTA CO.,Ltd.

これは何でも木をつかえば森が更新されていくということではなく、無垢材を使わないと山の風景は維持されないという話が前提にあるということです。
一方で今、日本は戦後の住宅供給期から50、60年経ち、当時植樹された木がちょうどいい伐採期を迎えています。CLTや集成材以外にも、目を向ける必要があります。
計画の場所は都心部なんですが、東京都も実は4割が森林で元々林業や製材がしっかりあります。
そこで、東京の森の風景をどう東京のマンションに表せるかを考えました。製材所で45mm厚の端材が積まれている現状を受け、いろんな長さの垂木材(60×45mm)を積み上げる内装を計画しました。

©︎TATTA CO.,Ltd.

25.垂木の住宅施工の様子©︎TATTA CO.,Ltd.

普段の東京の生活では見えていない、我々の近くにも山や木といった風景があるということに結び付けたいと考えました。
その後垂木の住宅はシリーズ化し、場所ごとに背景にある山の状況を反映させながら少しずつ違うものとして実現していっています

26.垂木の住宅の時間軸©︎TATTA CO.,Ltd.

「四寸角の写真スタジオ」は「垂木の住宅」を四寸角の流通材で建築化するみたいな建物です。これも材を積み上げて作ったものですが、ちょっと長くなりそうなのでこの辺で終わりにします。

©︎TATTA CO.,Ltd.

(以下、ディスカッション)

廣岡:全てのプロジェクトにおいて、批評的な視点をもっている印象を受けました。「そこにありえたかもしれない風景」という言い方もそうで、ある種の産業や近代化の中で機械的に行ってきたことに対する反省があるように感じました。また、反省するだけでなくポジティブに「こうやればいいじゃん」という明るさがあることがよかったです。

富永:塚本研でのゼミの際に、塚本さんが「古いものが圧倒的にいい」というスタンスをとっていました。意外だなと思い「時間の前後関係があるだけじゃないか、なぜ古いものにこだわる必要があるのか」と食いついてみたことがありました。すると「建築とは時間を扱うものなんだ」ということを言われました。僕には、それを乗り越えようと時間の不可逆性に噛みつこうとしているところがあるのかと思います。

廣岡:「そもそも過去が正解だとは言えない」と噛みつき「みんなが思っていないけど、こうすればもっとよくなるんじゃないか」という視点をもつことは、景観ではなく風景でしか捉えらえない問題だなと思いました。

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編集:原田祥吾、佐藤布武(名城大学佐藤布武研究室)

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