第13夜 街の景観と建築| 全体ディスカッション

この記事は、よなよなzoom#13:街の景観と建築(2020年11月21日)でディスカッションされたものを編集しています。
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ここからは全体のディスカッションに映りますね。

廣岡|日本の都市化の中でみているものを、ポジティブに捉えるという視点と、もう少し批判的に見る視点も、何に寄り添うのかという違いですよね。今あるものをどこまで信じるのか、というか。その混在も今の日本の設計の現在地でもある気がします。板坂さんは両者の結実したところなんだなと思っています。僕としても、モノとしてそれが信頼たりうるのかは常に考えていますが、流通している工業製品を悪しきモノとして見るのも違うかな、と思います。どちらの視点も両立できるし、ともすれば時間の流れでダメなところも回収すれば良いという明るさもあった気がします。
モノの話をした時、藤木さんたちのトライは、可変的な部分と構造の力強さの両方がある気がしています。一方で、可変するものも信頼している気もするんですが、その辺、いかがでしょうか?

藤木|僕も今の日本の町並みで何を受け継いでいくべきかは悩んでいます。なので、そのためにも建築では骨格というようなものを作っておきたいと思っています。一方で、そういう骨格みたいなものを作っても、それを使うのは人ですし、変化に対して敏感に対応していかなければ使ってもらえないのでは、と思う部分もあります。活動を定着して残していくためには、可変性や余白を残す必要があるのでは、と。

富永|津波と構造を作る、ということに関連性はあるのでしょうか?

藤木|公園のような場所を作りたいということで平屋の形式が生まれました。役場の方の思いとしても、町民の皆さんと、この場で復興するというイメージがありました。きちんとしたストラクチャーの下に、執務空間も市民スペースもあるという構成にしています。

佐屋|私たちは学校も住んでいたところもバラバラですが、職場が一緒だったという共通点があります。なので、考え方の癖みたいなものがあるんだと思います。ある程度プログラムに対して必要なものを整え、可変性を含めた部分で何ができるかと考えるような傾向にあります。それがマチドマであり地域交流スペースに表出しています。同時に、学んできた年代としては、「都市に対して批判性を持て」というような時代でした。だから、都市に対してどこか楔を打ち込みたいという意思もあります。なので、可変性のあるものを信頼しきっていない、という部分もあります。

藤木|あとは、南三陸では、若い町民の方を集めてワークショップを行い、有意義な機会となったものの、そこから運営主体を生み出せるには至りませんでした。そういう経験から、どう使うかとか、そこに愛着を持つにはどうしたらいいのか、というのは、すごく考えるようになりました。萬玉さんの取り組みは、人々がその場に愛着を持つための準備というか、布石のようなもので、そういうものがあるから心象風景になっていくんだろうな、と思いました。

廣岡|板坂さんの場合だと、実家のご両親とある種のワークショップのようなことが行われていたのかと思います。どんなやりとりがあったのでしょうか?

板坂|親に求められたイメージは全く違います。どちらかというと洋風という感じで、カケラみたいなことは苦手でした。最初にコンセプトを話したときに、「学校にいる間はそうでいいけど、実施設計では変わるでしょう。」みたいなことは言われました。私としては、先ほどもありましたが、淡路島をポジティブでありながら客観的でもある部分はあります。例えばサイディングは物質として面白いですが、普通の住宅の外壁に使われているものが好きなわけではありません。そう言った話は親とも結構していましたね。他にも、最初は鉄骨の現し表現を採用していたんですが、親はそれ自体を好んでいませんでした。だから要所で石膏ボードを貼ったりもしています。でも、鉄骨の足下がフローリングで噛んでいるところがあるのですが、そこの納まりを検討している際に、母が言った言葉はとても面白かったです。「街をみていると温室の鉄鋼は汚いイメージがあったけど、きちんと建築で守られている鉄骨はキラキラして美しい。ここの鉄骨は出ている方がいい」と。何回もやりとりを繰り返し、少しずつ理解してもらったという感じですね。

廣岡|物質を通して、言語的ではないけど身体的に、一般の人にも伝わり、一つのものが成り立つというのは面白いですね。そういう意味では、富永さんが批評的というか、示唆的に色々な木材を使っているのも印象的でした。

富永|そうですね。昨今のエレメント的に建築を作ることの良さって、色々なものに寄り添いやすくなったことだと思うんですよ。そのときに、いわゆるエレメント派の人が弱いものに寄り添いすぎている嫌いもあると思うんですよ。ちょっと気になったのは、板坂さんが、温室的なものをどう捉えているのか、というか、どう寄り添っているのか、という点です。温室が本当にフレキになっても良かったのか。とか。個人的には、寄り添うべき相手は誰なのかを考え、その先にある未来の出会いをデザインするのが建築家の役割だと思っています。何がいいと思っているのかが、決定的な主題なのではないのでしょうか。

板坂|修了制作では模型が最終の判断基準だったこともあり、部材を合わせたということに主題をおいたというか、それを伝えることが目的でした。一方で、ヴォリュームとして考えると、温室だとわかりすぎるというのもあるかなと。温室が持っている語彙力を弱めようというのを、実施では行っています。わりと俯瞰した視点で、もしかしたら無責任かも知れませんが、ビルディングタイプによらない表現を求めました。

廣岡|半麦ハットは、温室そのものの記号やサイディングの意味など、硬直化しているものを、その捉え方でいいのか、というアイロニカルな批評が発生しているのが魅力だと、今日、改めて感じました。目指すべきもの、寄り添うべき相手を考えたときに、全てがある種のわかりやすい正しさではないというのも、とても共感できます。でも同時に、わかりやすい正しさも大事かなと。その辺のバランスはプロジェクトによるのかもしれません。岩手では自然資源を重視しましたが、都市では自然資源を使うこと自体がかなり記号的になってしまうというか、個人的関係性が表出しているという危惧もあります。それはサイディングを使うことと何が違うのか。色々と考えさせられました。相方と議論します!

萬玉|廣岡さんが最初に行っていた、「バラバラ」とか「集合」とか、そういう言葉を選択する理由が知りたいです。

廣岡|僕は活動していることが都市の中に現れている景観がすごくいいと思っています。ある個人の人格は固有のもので、人間とかいうすごい抽象度の高いものとは切り離して考えています。その人格と人格の相互関係の中で、個人の活動が発生すると考えています。なので、他者と自分が違うという差異が形に現れてくるものだという前提があります。
あの辺に住んでいます。みたいな、それが形としてわかるというのは、場所の認識や好きになるために大事なことなんだと思います。パーソナルな人格が、もっと都市の中に現れることを好意的に考えているのも同様の理由ですね。
過去の建築を見ると、同じようなタイポロジーの中で、ちょっと横と違う、ということが起きています。あれはおもしろいですよね。どんな素材やものであれ、自分がそこにいるんだということを表明するような、そういうものが多い都市空間であって欲しいと思っています。だから、どこかバラバラであることを理想としているんだと思います。

萬玉|他にも聞きたいことがあります。富永さんは、全てのプロジェクトで時間軸を入れていたのですが、あれはある時でパラレルになるじゃないですか。この時間軸の概念はとても衝撃的でした。あとは寄り添う、ということも。
私はパートナーでやっているというのもあり、事務所にきたことをやる、という側面があり、プロジェクトによって態度を変えている部分があります。何に寄り添うのかを自分なりに考えると、プロジェクトにベースがあり、すごく漠然としているなぁ、とも。でもその中でも、過去も含めた耐用年数というものが個人的にはあるな、と思っています。場所の文脈や歴史など、プロジェクトが持っている耐用年数というか。そこを大切にしているのかも知れないな、というのが、私の中での大きな学びでした。

富永|ドーマー窓の家は、お施主さんが80才近くて、奥さんがギリギリ70になるかという方でした。旦那さんの年齢もあり、僕は、半年くらい本当に建てるのか、もしかしたら改修でもいいのでは、という押し問答をしていました。でも、話をよく聞くと、自分が死ぬ前に奥さんのために家を建てたいという強い意志があることがわかりました。それを聞いたときに、家主よりも寿命が長いものを作るんだということに直面する訳です。家主がいなくなっても残るかも知れない。そう考えたときに、ああいった建築表現にたどり着きました。森の話で、僕の中で決定的に刻み込まれているのは、「我々は7,8代前の先祖が気を植えてくれたおかげでくらせていけている。」という話でした。同時に今いる我々の社会状況も考え、我々に何ができるのかを考える必要がありますよね。垂木の家、はその葛藤の先にある表現になっています。

廣岡|抽象的なあり方との距離の取り方は、僕もずっと考え続けています。富永さんはなぜドーマー窓を白く塗ったんでしょうか?下見板貼りなども選択の可能性はあったのかな、って。

富永|メンテナンスする人がすぐいなくなるという状況があったり、すぐ後ろに、もともとの蔵があったりということから決定しています。僕らは、ポスト・ポスト・ポストモダンくらいの所にいると思うんです。その中で、何を基準にして建築に向き合うのかに立ち返ると、すごく俯瞰的にならざるをえないと感じています。あとは、全部知らないとできないのか、というのも同時に辛いです。ちょっと前に戻って分岐したもの、みたいなものもありうるわけで、全部知らなくても許されるというか、そういう考え方もあるのかな、と思っています。

萬玉|美しいものは見せて、見せたくないものを見せない、というよりも、目に見えるものがどう組み合わされているのか、ということが表現になるというか。ものの成り立ちとして、全て等価に扱って作っていく方法、みたいなものを考えた先にある「表現」ということの意味合いは、少し前の世代と変わってくるのかな、と思っています。

藤木|萬玉さんの作品からは、色々なものを等価に扱いつつ、路地のようなものを使って回収している印象がありました。

萬玉|そうですね。私自身、バラバラとか部分に興味がありつつも、バラバラを支える全体の骨格というものが必要なのではないか、とも思っています。それがないと、人がそこにきたときにどう振る舞っていいのかわからないというか。

板坂|バラバラから想起されるのが小さいものなので、エレメントに近しく見られてしまうのかな、と思います。壁・床・天井などがしっかりとした中でバラバラにものがあれば、それはバラバラな建築ではありませんよね。バラバラの話をするときの、ちょっと違う出口を見つけたいな、とも思っています。

萬玉|そうですね。床と壁と天井があれば建築、ではなく、その中にいる人の存在も含めて、もっとフラットに捉えて建築を考えたいと思っています。あとは、部分と全体ではなく集合、という言葉を廣岡さんが使ったのも面白かったです。

廣岡|全体を使うと、敷地で閉じてしまうという部分があり、それは避けたいなと。そもそも構造とは、大きな骨格もあれば小さな骨格もありますし、部分的な構造や大きな構造が複合してできているのが都市空間だと思っています。全体という言葉を使うと、際限があるものと見えてしまうのが怖いな、と。もっと広いことを感じさせるダイナミックさが欲しくて、集合という言葉を使っているんだと思います。

板坂|私は生態系という言葉を使います。コンセプトを考えるときに、形のコンセプトではなく、コンセプトってなんだろう、って考えます。その際、風景の方が建築よりも謙虚で、好感がもてました。なんとなく、コンセプトの向こうに見える生態系というのに憧れがあります。

廣岡|吉阪隆正さんは不連続統一体という言葉を使われています。板坂さんの話にどこか通じる部分を感じました。富永さん、最後、何かありますか?

富永|コンセプトというと強いので、何かしら、それぞれの建築家がいいと思うものがあって、それに寄り添うことで新しい生態系をデザインしたんだな、というのが、今の建築家のスタンスなのかな、と。個々の選択は建築家によって違いますが、その先に、どういうスパンで風景に至るのか、というのを考えなきゃいけないということが、今日はすごくよくわかりました。

廣岡|本日は本当に面白かったです。聞いている方の多くにも刺さったのではないかと。

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編集:佐藤布武

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