第11夜 若手建築家プレゼン大会| TOPIC2 学生時代に考えたこと、そして今。(桔川卓也さん/NASCA)
この記事は、よなよなzoom#11:若手建築家プレゼン大会(2020年10月3日)で、ディスカッションされたものを編集しています。
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学生時代に考えたこと、そして今。(桔川卓也さん/NASCA)
僕は廣岡さんとは実はまだ一回くらいしかお会いしていなくて、今日は皆さんが僕の1つ下や2つ下ということで、年下の同窓会に絡まれに来たみたいな気分ですが。笑。お手柔らかにお願いします。
少し自己紹介をしますね。僕は1984年に浜松市に生まれて、その後日本大学理工学部の海洋建築工学科を卒業して、1年だけ組織設計事務所で働いて、2008年からはNASCAで働いています。2017年からはNASCAの主任となり、2018年から母校の日大でも非常勤講師をしています。受賞歴では廣岡さんにご紹介いただいたようにせんだいデザインリーグで日本3位をいただきました。その際審査員だったのが、NASCAの代表である古谷さんでした。
NASCAに入ってからは小さな住宅規模から数千平米の建物まで担当させていただきました。
建築家を目指したきっかけ
©︎桔川卓也
建築家を志したきっかけは、幼稚園生の時に秘密基地を作った事が始まりです。自分の部屋の中にブランコがある特別な空間がいいなと思い、家から持ってきた廃材で屋根や壁をつくりました。幼稚園生ながらモノづくりって楽しいな、と思ったのが建築に興味を持ち始めたきっかけです。
廣岡さんはラッパーですが、実は、僕は高校3年生からDJに夢中になっていて、大学の3年生までは、設計課題を真面目に取り組まない、落第点ギリギリのような学生生活を送っていました。日大は3年生から研究室配属なのですが、意匠系研究室に入りたいと思い、2年生最後の設計課題でひと踏ん張りして、どうにか意匠系の坪山研究室に入りました。
その後、大学院に行くか就職するかすごく考えましたが、就活で一つだけ受けた某組織設計事務所に受かったこともあり、就職しました。
組織設計事務所に入った以降も自主的にアイデアコンペに出していて、いくつか賞をもらう事が出来ました。その中の、とあるコンペの審査員が、せんだい卒業設計日本一決定戦の時と同じ古谷さんでした。
懇親会の中で、古谷さんと色々と話す機会があり、気づけばNASCAに再就職していました。
What is design for me? -無作為的に建築を造る-
ここからは、卒業設計の話をしますね。
そもそも僕は、卒業設計をせんだいデザインリーグ日本一決定戦に出すときに「僕は大学院に行かないから、就職後は自分の思い通りのものを一人でつくれないかもしれない。」と思っていました。自分の思いの丈を込めて設計できる最後の機会だし、どうせやるなら“日本一”取りたいな、ということで全力で取り組んだのを記憶しています。
当時、卒業設計のテーマや形を考えているとき、そもそもデザインって何なのか分からなくなってきました。曲線がいいとか多角形がいいとかが無意味なことに感じ、もっと本質的に何が重要だったのかを考えるようになりました。
当時、僕の地元の浜松の写真を「幼少期」と「大学在学時」とで見比べたとき、地元の街並みがどんどん変わっていっていることに寂しさを感じました。建物が更新されると、その場所で遊んだ友達との思い出も同時に消えていくようで、「建築というものは実は記憶装置であり、建築には命があり、解体されてしまうことで記憶としても無くなってしまう」のではない、と思いました。
僕が学生の時は、スクラップアンドビルドが主流の時代で、それが建築にとって本当に良い事なのかと思いなおしました。すると、頭の中に様々なキーワードが出てきました。
未来、過去などの「時間軸」、そもそも建築をデザインする際の「作為性と無作為性」、「偶発や必然」、「失うものと得るもの」など、キーワードが頭の中を錯綜していきました。
「作為性」を細かく言語化していくと、機械的・意識・決定・秩序・計画的であり、
「無作為」というものは作為の対義語である自然的・無意識・不決定・無秩序・偶発的であると整理していきました。
言葉だけで判断すると「作為」ということは、人間に例えると優等生なイメージを持ちます。しかし、実際は人間が体感する上で「無作為」の方が豊かな空間のように感じます。作為的につくることが、「自然に比べ、建築は構造物なので空間として拘束していて窮屈に感じる」と解釈し「無作為的に建築を造ること」ができないかを考え始めました。
よく建築家は、不規則性の比喩として、木々の木漏れ日の話をしますが、木は作為的に図面通りになっていることはないですし、その時の気候、気温によって変化していきます。そこに面白さがあります。僕には、作為的にすべてをつくる都市計画や計画的に同じ建築が反復して建てられていく風景が、気持ちが悪く感じたわけです。
©︎桔川卓也
この写真はアルゼンチンの都市です。右側が計画的につくられてい富裕層の街並みで、左が貧困層の街並みです。1本のインフラを境に、そのような都市計画ができているのですが、左側の都市の方が僕は魅力的に感じます。
「不可視のコンテクストを読み解き、建築をデザインする」-余白密集体-
©︎桔川卓也
卒業設計では「不可視のコンテクストを読み解き、建築をデザインする」ことをテーマとしました。最終的に、つくったのが「余白密集体」です。
スクラップアンドビルドによって超高層化される西新宿5丁目の木造住宅密集地域の更新手法のアンチテーゼとして提案をしました。
建築の隙間である路地はすごく魅力的だと思いますが、路地は誰かがつくったというよりも、ひとつひとつの敷地・建築に対する「設計者の作為の隙間」みたいなものであり、いわば作為の裏返しである「無作為の集合体」であると捉えました。
路地空間には、その無作為性がバラバラな状態で表出しているということが面白いと思います。
僕の提案は、一度更地にして作為的に建築を造るというよりは、都市のリノベーションみたいなもので、空き家がどんどん増えていく時間軸(タイムライン)の中で、空き家となった建築の壁面を残し、その壁面を新たな建築をつくるためのコンクリートの型枠にしていく考え方です。記憶が壁面の模様としても残りつつ、機能的にも防火壁となり、この住宅地域が抱えている問題解決のために寄与させました。
結果的に建築(図)と路地(地)が反転された複雑な造形が生まれましたが、これは僕自身の強い作為性によるデザインというよりは、この街の不可視のコンテクストを読み解いた結果で生まれたものです。
当時、このプロセスを「無作為を用いた作為」と呼んでいました。
結果、審査会場では、僕の提案が日本一なのではという話も一回はあったのですが、古谷さんに3位までひきずり降ろされて。笑。
実は、先にお話しした、就職後のコンペで古谷さんに再開した際、「日本3位にしたのは僕だからNASCAで面倒見る」とも言ってもらったんです。
「実践学園中学・高等学校 自由学習館」
©︎NASCA
NASCAに入ってからは、最初に「実践学園中学・高等学校 自由学習館」を担当しました。NASCAの設計スタイルは、代表がスケッチを書いて、それを所員が図面化するというものではありません。大学教員の古谷さんならではだと思いますが、エスキスのようなスタイルで進めていきます。スタッフがプロジェクトのコンセプトを提案し、平面、立面断面、ディテールなどを決めていくスタイルです。
最初このプロジェクトを渡されたときに「卒業制作の続き」「続・余白密集体」という課題だけ与えられました。
実践学園は男女共学の中高一貫校で、中野坂上駅から徒歩5分の住宅街の中に立地していて、自由学習館の敷地は、実践学園の本校舎から2,3分の飛び地です。
お施主さんからは「敷地は買ったが、なにを建てるか決まっていない」という話がプロジェクトのスタートでした。
そこで、本校舎から飛び地という立地性を活かし、生徒たちが自由気ままに友達と勉強できるような「学生たちのリビング」のような施設が良いのではと考えました。
というのも、東京都心の学校の典型的な例ですが、土地が限られているため、実践学園は中庭型の校舎に全校生徒1200名の学校機能がコンパクトに収められていました。
ほとんど教室と廊下、その他必要なもので敷地内は一杯になってしまっていて、そこにいわゆる余白やゆとりを生み出すのには限界がありました。
新しく計画されたこの自由学習館は、教室という学校の主要な「図」となる場所に対し、空間的にも時間的にも「地」となる余白や隙間だけを集めてつくりだした場所となるよう目指しました。
そして、卒業設計からのテーマでもあった、「無作為によるデザイン」という挑戦も継続しています。このプロジェクトでは「都市の秩序からつくられている集団規定を可視化してみる」というものをスタディーの主軸におきました。
建築家独自のみの作為性で形を作るのではなく、集団規定という不可視のコンテクストをかたどっていく事が、都市計画の風景の中で馴染む形、つまり、その地域の自然に近い状態になりえないかと考えていました。
結果、隣地への日影や視線、斜線制限、延焼ライン等、この敷地の不可視のコンテクストを読み解きながらスタディしていき、このような多面体となりました。
©︎NASCA
©︎NASCA
©︎NASCA
集団規程等を逆手に取り、周囲に呼応するようにかたどった外殻の中に、まず半地下にホールの内殻を置くことで、その間に隙間が生じさせました。その中に様々な余暇活動のための空間を最上階まで織り重ねていく。そんな感じでこの一見複雑な内部空間が生まれています。随所に設けられたこれも隙間のような開口部からは、時に空が、時に木々の梢などが眺められる。覆われた箱の中にいるようで、周辺の外部にも包まれているような空間。その感覚がホール内殻の内部にまでもつながるように意図しました。
もとより自学自習とは、教室での授業とは違ってきわめて能動的な行為である。生徒たちがこの中の思い思いの場所に陣取り、それぞれの時間を過ごし、かつ互いの交流が自然に生まれるような場所を目論んでいます。
©︎NASCA
©︎NASCA
「実践学園中学・高等学校 自由学習館」の後は、90㎡くらいの住宅から小学校や団地再生、工場、大学、病院、保育園、道の駅、商業施設などと小さな規模から大規模のスケールなど様々な用途の建築の設計をしてきました。
©︎NASCA
プロジェクトアーキテクト制度
NASCAには「プロジェクトアーキテクト制度」というものがあります。一般的に、アトリエは、その事務所の代表者が統括責任者として、その建築家の名前で発表します。
「プロジェクトアーキテクト制度」はそうではなくて、スタッフ個人が総括責任者としてプロポーザルに応募して、それが取れた暁には「個人名+NASCA」で発表しても良いという制度です。当時、独立することも視野に入れ古谷さんに相談したところ、この制度を作ってくれました。まあ、古谷さんとしては「とれるものなら取ってみろ」みたいな感じだったと思いますが。笑。
©︎桔川卓也+NASCA
これは最初に出した真庭市の市庁舎分所を図書館に改修するというものです。運よく、初めての挑戦で最終ヒアリング5社に残りました。
結果的には青木茂さんが選定されたもので、最終プレゼンでは、審査員からの質疑の内容が「君、本当にこれできるの?」という反応だったように記憶しています。当時、僕は30歳くらいだったので、全然経験が足りなく、質疑応答でもうまく立ち回れませんでした。とても悔しい経験でした。
「道の駅しょうんなん 再整備工事」
2017年にプロジェクトアーキテクト制度で2つ目のプロポーザルに挑戦し、最優秀をいただいた「道の駅しょうなん再整備計画」です。2021年12月中旬頃に竣工予定のプロジェクトです。
©︎桔川卓也
敷地は千葉県の旧沼南町と言われる、現在柏市になっているところです。ここは非常に面白い敷地特性があります。自然豊かなところなのですが、手賀沼を境界線に都市の街並みと自然が寄せ合っています。いわば、「都心から一番近い自然を持った道の駅」というポテンシャルのある敷地です。敷地面積は約35,000㎡で、既存の部分は約5,000㎡、合計約40,000㎡くらいです。
©︎桔川卓也+NASCA
市の基本構想では、この道の駅を「手賀沼を回遊させるための拠点として、地域のエントランス機能を持たせたい」ということが記載されていました。つまり、単なる商業施設ではなく、地域活性化としての玄関口としてもつくりたいという要望です。「道の駅」というのは、市がつくって指定管理者に渡すという、公設民営です。単純に稼げばよいわけでもなく、半分は商業施設で、半分は何か公共的な機能を持っていなければいけない点が、公共がつくる道の駅の面白い点でもあり、難しい点でもあります。
©︎桔川卓也
©︎桔川卓也+NASCA
プロポーザルの提案では、既存の敷地に建っていたイチゴハウスを残して両側に新しい建築(直売所の機能等)を建てたらどうか、という提案をしました。大面積の屋根下広場を求められていたので、イチゴハウスをリノベーションして再利用すれば工事費も減り、合理的なのではないかという狙いです。ハウスが連続した風景は、ある程度の面積を持った建物であろうとも、地域の風景の中に溶け込むでしょうという意図もありました。
「地域をめぐる出発の場、到着の場、出会いの場」として、「手賀沼セントラルステーション」と名付けました。駅舎は構造のフレームが反復しているおおらかな空間で、その下に行きかう人々やカフェとかいろいろなものがあります。連続した構造体のフレームが強さを持っているため、下の空間がどんな状態であれ、包みこんでくれる状態をつくれないかと考えています。空港のように構造体が反復する面白さみたいなものへの挑戦ですね。
その後、幾つか予条件が変わりながら案を変更していますが、この建築でも、初めに話した卒業設計でのキーワード「無作為性・作為性」と意識しています。ここでは、作為と無作為という対概念でなく、作為の数なのではないかと感じました。単一の作為と多数の作為がついになっており、単一の作為に事象や意見を排他せず、多数の作為を編みながら、それを同時に乗り越えていく問いと答えを設計の中でも挑戦することによって、無作為性を獲得できないかと考えました。すななち、コンテクスト、人間相手でも、他者の自由とそれを認めて建築や自分の立ち位置をうまく調和と異化させるバランスが重要と感じたのです。
©︎桔川卓也+NASCA
©︎桔川卓也+NASCA
実施設計の模型です。屋根伏せで見ると、3棟の家型が素直に連なった形態となっていて、45度に振れた構造体のフレームと0度、90度のフレームが一棟でつながっているような建築です。
人々の意識を手賀沼まで導くために、構造の軸組(フレーム)の持つ力を「建築空間とシークエンス」に置換できないかと考えました。
単一フレームでは単なる「門」でしかないですが、複数のフレームが重なることで初めて「空間性と方向性」を作り出すことを考えています。
この2つの方向性のもったフレームが、「道の駅に迎え入れる機能」と「手賀沼まで導くシークエンス」となることを期待しました。
©︎桔川卓也+NASCA
©︎桔川卓也+NASCA
今回の敷地の特性上、新たな道の駅には、我孫子(南東)方面からのアプローチと柏方面(南西)からのアプローチ、手賀沼方面(北西・北東)からのアプローチがあります。これらの3つの方向からのアプローチに対してそれぞれの正面性を作り出し、建築としてのゲートを作ることを目指しました。
©︎桔川卓也+NASCA
各々のアプローチから見たときの正面性を獲得するために、この建物のボリュームに、不可視である複数の消失点を起き、二点透視と一点透視が同時に見えたり、見る人のシークエンスによって建築の奥行きや正面性が変化していくような仕掛けを行いました。
「建築の立面と正面性」を問い直し、「建築の正面性を消失点」で再定義できないかと考えました。
具体には、まず初めに南側の敷地主出入り口から見たときに、建築を介して手賀沼へのアプローチと既存棟の方面に対して動線を誘引したく、建物の形状が1枚の写真を撮った時に自動的に2点透視に見えることが重要なのではないかと考え、45度隅切りしたデザインにしました。本来であれば、「建築の角」と認識される部分ですが、建築の角も正面と捉えていくことで、二点透視空間を作り出し、目的地点A・Bへの人々を無意識的に誘引できないかと思ったのです。ボリュームは2点透視のガイドライン上に乗せ、家形の棟高さを部分的に下げています。
75m角平面の隅を45度切りした五角形平面形状を持ったこのボリュームは、我孫子(南東)方面からのアプローチと柏方面(南西)からのアプローチ、手賀沼方面(北西・北東)からのアプローチから見ると、南側の敷地主出入り口から見たときには角であったはずの面が正対して見えるようにし、各方向からの正面性を獲得しつつ、複数の消失点が移動していくように考えています。
私たちは、建築の正面性を立面として描き、整理してきましたが、実際には二次元で見えることはなく、面と奥行きによって建築の正面性を感じていたのではないかと思ったのです。
四角形の建物で正対して見ると正面と感じる面が角であり、角であるはずの面が正対して見ると面であるような、面と角の捉え方を反転させた考えによりファサードを作っています。
このように、パースペクティブ的な検証からも、角度の異なったフレームが重なり合うことで、複数の正面性と誘引性を作り出し、無意識的に人間が持っている空間認識能力を最大限活かした、建築空間の在り方ができないかを模索しています。
©︎桔川卓也+NASCA
©︎桔川卓也+NASCA
©︎桔川卓也+NASCA
©︎桔川卓也+NASCA
©︎桔川卓也+NASCA
©︎桔川卓也+NASCA
平面計画です。プログラムとしては、直売所、フリースペースやカフェ、加工体験室等が入っています。半屋外空間のガレリアと名付けた屋根下広場は、軽トラ市やワゴン市、キッチンカー利用などのイベントができるようになっています。
空間構成として、「公共通路の空間軸(トンネル性)と商業空間の顔が平行配列ではない方法」をとれないかと考えました。
例えば、ショッピングモールのような形式は、中央には幅員が大きい直線状の通路空間があり、その左右方向に商業が張り付いていていますが、興味が無ければ視野にも入らなくて、歩くこともできる関係ができていると思います。平行配列になっているが故に「人間の空間認識能力で感じる空間軸」と「目的」が平行配列として一致してしまうと、全く興味のないものとして変換されてしまうのではないかと思ったのです。
結果、外壁ラインは構造体の角度に沿いながら、ギザギザした形状となっていますが、これは動線上の進行方向とガラス越しに見える商業空間の関係性を45°の関係とすることで、自動的に視線に入ってきやすような仕掛けを試みています。
その他、木造の真壁工法のような納め方で、この鉄骨造の建築をデザインすることで、フレームが純粋に見えるように追求しています。
©︎桔川卓也+NASCA
東京割烹てるなり
©︎桔川卓也(KKTA)
最後に紹介するのは、2018年に竣工した店舗です。これはNASCAではなく、個人で引き受けたプロジェクトになります。敷地は、四谷三丁目のマッカーサー通りと言われる、戦後に無理やり分断した大動脈の道路があるような場所です。道路上の建物がみんな三角形や台形に切られているという敷地の特徴があり、そんな三角形のビルの1階のテナントの改修でした。
©︎桔川卓也(KKTA)
©︎桔川卓也(KKTA)
三角形というのは、建築の平面図で言うと、デットスペースが生まれやすく、非常に難しい形式です。クライアントの要望は「個室をつくってほしい」というものでしたが、三角形の平面に個室をつくると、デットスペースや異形の個室が沢山生まれてしまうという弊害が生じます。ここでは個室をつくるのではなく、三角形という3つの強い軸に合わせて、各々の居場所をつくっていけば、ちょっとしたパーソナルスペースがつくれるのではないかという提案をしています。
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編集:服部琴音、佐藤布武(名城大学佐藤布武研究室)
文字校正:桔川卓也