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ベリー公のいとも豪華なる時禱書(1413~16)/ランブール兄弟

1,序

彩色写本「ベリー公のいとも豪華なる時禱書(1413~1416)」は、ポール、エルマン、ジャンの3人兄弟―ランブール兄弟によって制作された有名な彩色写本である。
この美しくも麗しい写本について、制作者、時代背景、制作過程、そして各作品を見ていくことにしよう。


2,制作者・・・ランブール兄弟

3人の兄弟は14世紀の末ナイメーヘン(現在のオランダ)に生まれた。兄弟の父は木彫家、母は職人の娘であり、叔父のジャン・マルエルも宮廷で盾や紋章の装飾に従事する者であった。ということからしても一家には職人気質の血が濃く流れていたということになろう。
また当時、ナイメーヘンは常に戦争の脅威にさらされていた。このことも兄弟の人生に大きな影響を及ぼす一因となったと想像される。

1396年、彼らの叔父ジャン・マルエルに、パリにおける仕事の依頼が舞い込む。パリは戦争の危険な地域からは遠く離れており、彼は喜び勇んでそれに応じた。その際に、彼は甥のジャンとエルマンにもパリの金細工師の工房で徒弟となる道を世話したのである。


■ブルゴーニュ公フィリップとの出会い
兄弟は叔父のジャン・マルエルとともにパリに赴く。しかし1399年になるとパリに疫病が流行し、兄弟はいったん故郷に送り返されることになる。ところが彼らの乗っていた馬車がブリュッセルで止められてしまい、結果的に兄弟は再びパリに戻ることになった。その補助をしたのが、ブルゴーニュ公のフィリップである。これが彼らとフランス王家のパロトン・フィリップ公との出会いであった。のち彼らはフィリップ公のために、「このうえなく美しく、みごとな聖書」の写本装飾をはじめとするさまざまな仕事に取り組んでいく。

そのころパリは急速にヨーロッパの芸術の都になりつつあった。特に写本彩色の面では当時のパリは抜きん出ていたといえる。
フランス王族の諸侯と同様、フィリップ公も手厚く芸術を保護し、自らの宮殿の調度品や装飾に膨大な金をつぎ込んでいった。



■ベリー公との出会い
1404年にフィリップ公は亡くなってしまう。しかしランブール兄弟はすぐに新たなパトロンを得たのだ。それがフランス中南部の大半を封建領地として支配しているベリー公である。ベリー公は芸術と工芸品に強い興味と関心があり、公が収集した書物はヨーロッパの中でも美しいものばかりだった。そのコレクションにはすでに豪華な彩色写本が多数含まれていたが、そこにランブール兄弟の傑作の数々が後に加えられていくことになるのである。


■「美しき時禱書」
ランブール兄弟は着実に仕事をこなしていき、1405年ころから1409年にかけて、彼らの傑作である時禱書の一つ「美しき時禱書」を制作した。当時、こうした時禱書は幅広く流行していたのも事実である。
時禱書とは祈祷書のことで、日々の定時課の祈祷文と典礼文が書かれ、どれにも精巧な挿絵がほどこされている。また時禱書は世俗の信徒が日課の祈りに従いやすくなるよう作られており、祝祭日の暦で始まっている。しかもそれには月の世事と12宮を示す挿絵が付されるのが習わしとなっていた。時禱書は各パトロンが個別に制作を命じ、それぞれの仕様で飾られた。
ランブール兄弟は、「美しき時禱書」作成の時点でも、写本画家としての技量がみごとであったことが見て取れる。



■「ベリー公のいとも豪華なる時禱書」

1413年になると、兄弟は彼らの生涯最大の仕事「ベリー公のいとも豪華なる時禱書」と呼ばれるようになる写本の制作にとりかかる。彼らはこの傑作において、「教会世界の静かで神聖なイメージ」と「宮廷の華やかさと自然の活力」とをみごとに結びつけたのである。それは宗教美術と世俗の美術のまったく新しい形の融合でもあった。その独創的な試みの一つが、書物の冒頭を飾る月暦の全ページ大の挿絵だったのである。



3,「ベリー公のいとも豪華なる時禱書」

ここには月ごとに絵が付され、一年を通じてのベリー公の宮廷の様子、また彼の城や邸宅をとりまく田園風景が描かれている。そこからは当時の人々の生活の様子が読み取れる――身分の高い者が思うがまま自らを誇示する騎士道的世界が展開され、一方で農民は畑仕事にいそしんでいる。光と大気で満たされた広がりと奥行きのある風景、新鮮な視点で細かく観察された自然、個人的な人物たち、構図の迫力、色の純粋さなど、一度見るとこの絵の記憶は誰しもの脳裏に焼き付くのではないだろうか。

この色顔料は徒弟達が工房で作ったようだ。青地に金を置くのがランブール兄弟の作品の特徴であり、この組み合わせはベリー公の盾形紋章の反映かも知れない。ウルトラマリンは貴石のラピスラズリからとったもので、純金は細部に用いられた。また紋章は青の地に3つのユリの花を配したもので、「いとも豪華なる時禱書」の縁飾りにたびたび登場する。彼らはこのようにして各所でパトロンをたたえていた、と同時に、彼らの並外れた芸術的手腕はこのような形で花開いたのである。



4,ベリー公のいとも豪華なる時禱書から―
1月・4月・5月・8月・10月・12月

ではここからは特に私の印象の残った図6つをピックアップして紹介したいと思う。

■1月

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新年を祝う宴であろう。ベリー公ジャンが右端に座り、円形をした衝立が彼の頭を囲む光輪の役目をしている。隣の給仕には「どうぞお入りください、お入りください」という詞書が添えられている。ほかの11の月と同様、上部の半円には太陽神の戦車と占星術のシンボルが描かれている。



■4月

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画面左では、恋するふたりが指輪を交換している。それを両親が見つめている。右では乙女達が花を摘んでいる。背景はドゥルダン城である。というように、春のうららかな雰囲気、みずみずしい情感に満ちた幻想的なこの図は、見る人を魅了させる。



■5月

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5月祭は古くから、気分を高揚させ心を楽しませる祭典だった。森へ出かける一行は魅惑的な恋の雰囲気に満ちている。この行事は「若葉狩り」と呼ばれ、王宮を離れて、森で愛を語り合う一日である。この初々しさ、若者らしい躍動感は、見る人に希望を与えてくれる。


■8月

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鷹狩りは貴族たちが好んだ趣味の一つだった。中景では、エタンプ城近くの刈り入れ作業の一休みに農夫たちが川で泳いでいる。この「優雅さとのどかさとの調和」もこの図の魅力の一つであろう。



■10月

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オテル・ド・ネールからの眺めであり、見えているのはルーヴル城である。この要砦は、ベリー公の兄であるシャルル5世の手で美しく拡張され、王宮となった。16世紀に取り壊されて新宮殿に建て替えられ、現在はルーヴル美術館となっている。農民が畑を耕し、種をまく光景が、優雅な城とみごとな調和をなしている。



■12月

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上に見えるのはベリー公が生まれたヴァンセンヌ城である。城の美しさと共に、狩りの残酷さも描かれており、この自然を包括的にとらえた視点とそれらがなす調和は素晴らしい。


5,最後に

国際ゴシック様式の装飾性と優美さ、フランドル絵画の精密な描写力、という技巧的にもすぐれた要素を待ち合わせたこれらの作品は、最も豪華な装飾写本として後の世になっても高い評価を受けている。
現在はシャンティイ城にあるコンデ美術館附属図書館に非公開で所蔵されているとのことである。











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