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#よんなな朝の歌 ’23.3③

2023.3.13 高野寛「目覚めの三月(マーチ)」

おはようございます。ようやく春かな?という気温。そして降りしきる雨が、花粉を地に落としてくれるといいなと。それを乗り越えたら麗らかな春本番、そういう日が来てほしいですね。そんな春の目覚めを近くで感じたくて。今日は、そんな気分で…。
午前8:01 · 2023年3月13日

 3月ならではの曲をひとつと思っている中で、この曲は必ず取り上げないといけないと思っていた。目覚めの三月(マーチ)とあるように、冬から春に向かって野花が芽吹くさまを目覚めのように表現したこの曲は、3月中旬の「春に行こうか、冬をもう少し…」とせめぎ合う最終段階を、しっかり歌にしている。
 目が覚めたらきっと傍に居るという淡い期待を描きながら、春をきっかけに自分の心を変えていこうとする。これは日本の年度を取り巻く制度が4月をスタートとすることも相まって、春という季節に特に思いを寄せるようにとする心の現れではないかと考えることができる。
 目覚めの3月。この目覚めがどのようなものを指すかは知る由もない。一つ言えば、俯き諦めてばかりの心に大きな花を咲かせることのできるのは、自分の心の中に秘めたる思いを形にすることに通じる。そのプロセスの幾つかがある種の目覚めに結実していくことは、自分の心と向き合いながら見つけ出すことにも通じていく。その先に目覚めがあり、その目覚めが花を咲かせる。

2023.3.14 国武万里「ポケベルが鳴らなくて」

おはようございます。昨日の夜にふと、スマホのない世界でどうやって男女は逢瀬をしていたのかなって。スマホの前は携帯、その前はポケベル。そしてこんな歌が流行りましたね。ポケベルに呼び出される女性の悲しさよ、なんかこの切なさったらね。。
午前8:15 · 2023年3月14日

 ツイートには字数が限って掲載していたので、通信手段のことをもう少し深く書くことは出来なかったのですが。1990年代中盤の「外にいる人を捕まえる」ツールは、立ち回り先の連絡先に片っ端に電話をするか、どこかの駅の伝言板か。携帯電話というよりは、むしろ自動車電話がごく一部の人間が使っていて。あってもショルダーフォン。重い機材を肩に掛けて持ち歩く。冷静に考えたら正気の沙汰でも何でもない。
 その中でポケベル。自己発信はできないけれども、プッシュホンの電話からごく短い文章を送り込むことのできる小さな端末。休み時間にはテレカを持った女子高生が公衆電話に列をなして。
 そのポケベルを握りしめて連絡を待つ切なさは、健気でもあり寂しくもある。男女平等とは言っても男が主導権を取っていた時代。男から来るポケベルのメッセージを待ち続ける夜は、長くつらい夜だったのだろうと推察できる。受け身の恋となる方がいつも泣く。今ではLINEで恋する相手の言葉を待つ時代。既読が付かない夜が続けば、また辛い。

2023.3.15 近藤名奈「春色のカーブ」

おはようございます。肩からかけてくれた白いセーターが大きすぎても、そうして気遣ってくれるのが嬉しい春の天気。今日は暖かくなるかなあ?そんな気持ちを抱きながら今日も頑張ろうとね。少しずつひとつずつ、いい風を感じていきたい。もう3月のカーブ。
午前8:00 · 2023年3月15日

 近藤名奈は思春期の頃に抱いていた「理想の女性像」そのものだった。ショートカットの小柄な元気な子、弾ける笑顔にクリアな声。
 今のように簡単に彼女の情報にアクセスできる訳でもなく、耳で聞いた曲とテレビの片隅に映るクレジットを睨み見て、取次しかしないCD屋に注文を出す。そこでようやく買うことができたCDを、今度は盤が擦れるほど再生して聴く。ジャケットの中に幾つか使われたフォトグラフを見ては、彼女の姿を想像する。この繰り返しで。だから、PVなどの媒体に触れたのは実質的な引退状態だった頃から細々とアップロードされたYouTubeで「ああ、こうやって動いていたんだ」と思うくらい。
 誰もが知るような音楽番組に出ていなかったからこそ、むしろ興味を持って聞くことができたし、憧れの先輩を見るように静かに推していた。その後邂逅することもなく中年を過ぎそうなフェーズになってきているが、いつか会えた時には静かに愛聴していたことを、飾ることなく伝えられたらと思っている。その日まで憧れ続けたい。

2023.3.16 orange pekoe 「LOVE LIFE」

おはようございます。直訳すれば愛の生活。愛溢れる生活の幸せは、全てに変えるのは難しいでしょう。愛がしっかりしていれば、全ては上手くいくはず。そんな日々が皆さんにも訪れますように。そんな思いでこの歌をヘビロテしてました。知世はどこ行った?
午前7:51 · 2023年3月16日

 この記事を書こうとして、改めてorange pekoeについておさらいしていて驚いたことがある。このユニットを認識したのは2002年頃だったと記憶しているのだが、デビューがその2002年。「Happy Valley」という曲がものすごい勢いでラジオ局のヘビーローテーション曲になっていたが、実はそれがデビュー曲で。その曲を聴いて「いいユニットだなあ」と思っていた訳だから、かれこれデビューからつかず離れず聴いていたという計算になるようだ。
 日本のアーティストでありながら、ボサノヴァやジャズを思うような音運びと歌。その後思う自分が理想とする曲のジャンルの原型が、orange pekoeの楽曲に詰まっていると言っても過言ではない。言い方は失礼かもしれないが、流行り廃りなくスッと様々なシーンにフィットする楽曲を作るのは、必ずしも商業的には大きなヒットは望めないと思われる。ただし音楽はそういう物ではなくて、折々にフィットする音楽が「良いもの」と思うのね。

2023.3.17 50TA「Perfect Love」

もう深夜だってのに。本当に適当に思い出した曲を今日の歌にしようと思ったんですけれども、よりによって英孝ちゃんの歌を思い出しちゃった。でもストリートではいきものがかりより人気だったらしいね。世の中何が起こるかわかんない気もするけどちょっと笑う。
午後11:19 · 2023年3月17日

 英孝ちゃん、なんだか憎めないんだよ。大真面目にやっててもどうも笑いに化けるのは、やっぱり人となりがあるのだろうか。元々はアーティスト志向、新百合ヶ丘駅の路上でストリートライブをしていた時には後の「いきものがかり」を凌駕するほどの人気を誇っていたが、お笑いのネタ作りは全くの素人。周囲のアドバイスを得ながら、ちびまる子ちゃんのキャラクターである花輪君をモチーフにキャラクターづくりをしたそう。
 そんな感じの英孝ちゃんだからこそ「50TA」としての活動もあるのかとも思われる。実は元々は「50TA」はロンドンハーツから発生した壮大なドッキリで、散々曲を書かせて調子に乗らせておいて「落とす」パターンだった。しかし反響が大きすぎて最終的にはCDまでリリースする運びとなったのだから、彼のファンタジスタぶりには驚かされるのみ。
 そういう意味では彼をバカにはできない。YouTubeの動画もデパートとのコラボ。認知度やインパクト、見えない場での人徳が詰まっているのかな。

2023.3.18 松たか子「明日、春が来たら」

おはようございます。明日には本当に春になるかな?って思える陽気も近づいて来そうだなって思っています。明日春が来たら君に会いに行こう、そういう柔らかな恋が穏やかに進んでいけたら。春はまたすぐにやってくるんだろうな。なるべく心穏やかにね。
午前11:06 · 2023年3月18日

 松たか子のデビュー曲にして、最大のヒット曲。CDがよく売れた1990年代後半とはいえ、デビュー曲で50万枚も売れた曲ってそうそうお目にかかれないものだ。
 この曲がリリースされたのは、確か高校1年生の終わりだったか。この曲に貫かれた都会的な春の訪れについては遠い世界の話だなあとは思っていたが、銀座線の階段やスタジアムの歓声がどのようなものだろうなと思いを馳せていたことを昨日のように思い出す。
 明日、春が来たら君に会いに行こう。それだけで幸せが溢れるかのように。外苑前駅の階段を駆け上がり、国立競技場への道をハミングするようなステップで歩いていく。それだけで幸せな気持ちになって。神宮球場に差し掛かったら大学野球の歓声が聞こえて。
 …そのルートでよく、春の神宮球場に通っていました。多分に漏れず、私一人で。いや、たまに後輩の翼君と歩くぐらい。土日の神宮球場で応援団の若い子に酒を飲ませて騒いでいたのが春であれば、この歌の世界観とはかくもほど遠いもので。リア充のそれではない。

2023.3.19 Mr.Children「ニシエヒガシエ」

おはようございます。今日は散髪に来ておりまして。家からそこそこ離れたお店に、高速道路を使って。ニシエヒガシエ移動距離はエグいですけど、お気に入りの方に切ってもらいたい。だってさ、おじさんだって男の子だぜ?やっぱアゲていきたいじゃん!
午前10:17 · 2023年3月19日

 この曲のことを調べていたら、面白いことが書いてあった。「この楽曲の発売時点ではバンド活動を休止していたため、この曲は休止中に発売された唯一のシングルである」。…ちょっと、「えーと」ってなってしまった。よくわかりましぇん。
 これには種明かしがあるようで、「作詞作曲:桜井和寿」ということでつまり、桜井が休止中に制作ソフトの「protool」を用いて制作したということのようだ。リズム隊以外は全てサンプリング等を駆使して作られたという。
 そのため、この曲のリリース当時はテレビでのバンド演奏がされることはなかったそうで、テレビでの演奏は発売14年後のことだったと。
 面白いものだ。楽曲の制作などは、それこそ東奔西走して制作されるものと思うじゃない?そうでなくて、20世紀が終わる前にアーティスト自体が音楽の制作にも取り組んでいたということが非常に興味深い。現在ではもう少し簡便にできるはず。どうやってその楽曲が作られたのか、少しは興味を持ってみたいものと、感じたところ。

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