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死にたい夜に効く話【17冊目】『密やかな結晶』小川洋子著

小川洋子さんの小説を読むと、ナブナさんの「夜明けと蛍」が聴きたくなる。

『密やかな結晶』を読んでボロ泣きした後に、「夜明けと蛍」のアコースティックver.を聞いたら、余韻増し増しになって感動したのがきっかけだ。


その島では、何かが一つずつ失われていく。リボン、切手、香水、鳥やフェリー…。
彼らはそれを「消滅」と呼んでいた。

「消滅が起こるとしばらくは、島はざわつくわ。みんな通りのあちらこちらに集まって、なくしてしまったものの思い出話をするの。懐かしがったり、寂しがったり、慰め合ったり。もしもそれが形のあるものだったら、みんなで持ち寄って、燃やしたり、土に埋めたり、川に流したりもするの。でも、そんなちょっとしたざわめきも、二、三日でおさまるわ。みんなすぐにまた、元通りの毎日を取り戻すの。何をなくしたのかさえ、もう思い出せなくなるのよ」

小川洋子『密やかな結晶』講談社、2020年、pp.8-9


消滅が起こると、人々は消えたものについての記憶を全てなくしてしまう。でも実は、そのものが跡形もなく消滅したわけではない。物自体は存在していても、それを「認識すること」ができないのだ。

ほとんどの人間が消滅の影響を受ける中、主人公の母親のように、なぜか記憶を留めたままでいられる人たちも存在した。

しかし、記憶を持っていることは、その島では良しとされない。島には「秘密警察」なる人たちがいて、記憶を保持する人たちを連行していく「記憶狩り」が日常的に行われるようになる。それは日に日にヒートアップしていき、隠れ家を求めて逃げる人たちが増えていった。

小説家をしている主人公の女性も消滅の影響を受ける人間ではあるものの、彼女は記憶を保持する人間を救うために隠れ家を提供し、危険と隣り合わせの生活を送ることになる。


小川洋子さんの本は、読むのにすごくエネルギーを使う。
だから、自分が精神的に元気じゃない時は読むことができない。

彼女の書く小説の世界はどれも、とても静かだ。淡々と言葉が紡がれていくし、淡々と場面が進んでいく。でも、その静けさは決して優しいものではない。

静けさの中に、狂気がある。グロテスクさがある。説明の仕様がない恐怖感。背徳感。
本能的にゾワっとさせられるのだけれど、わたしはなぜか同時に、美しい、と思ってしまう。

彼女の作品を読むと、いつも退廃美という言葉が浮かんでくる。

いきなりだけど、わたしは昔から廃墟が好き。自分でもなぜ好きなのか、いつから好きなのかわからない。
廃墟の映像や写真を見ると、いつも思わず見入ってしまう。その時、怖さもあるけど、そこに美しさを感じている自分がいる。
彼女の小説を読むと、廃墟を見た時と同じ感覚を覚えるのはなぜだろう。

彼女の小説は、説明するのがとても難しい。わかりやすくないのだ。うまくまとめて誰かに伝えようとしても、大事なところが抜け落ちたペラペラなものになってしまう気がしてならない。
一つだけはっきりと言えることは、彼女は人間の意識下に直接響いてくるような物語を書くということ。


島の人たちは、消滅をただただ受け入れる。
彼らが未練もなく処分していく様は、どこか狂気めいてすらいる。でも、それを当然と受け入れている主人公の目を通してみる世界では、それは何も変わったことではないとも思えてきてしまう。

島のものが一つずつ消滅していくたびに、空洞が増えていく。
帽子が消えれば、帽子屋は仕事をなくす。鳥が消えれば、鳥の観測所は用無しになる。フェリーが消えれば、島の人たちは島から一歩も外に出られない。
何かが消えることはつまり、それに付随する、職業だったり場所だったり、日常の中にある数々の選択肢を失うことだ。
けれども人々は、それが消えてしまったところで、なんだかんだと暮らしていけてしまう。

記憶を留めることができる人たちは、世界から刻々と空洞が増えていくことに、人々の心の中に空洞が増えていくことに対して、虚しさ故の叫びというより、もはや警告に似たような声をあげるのだ。

「いや、大丈夫さ。消滅のたびに記憶は消えてゆくものだと思っているかもしれないけど、本当はそうじゃないんだ。ただ、光の届かない水の底を漂って入るだけなんだ。だから、思い切って手を深く沈めれば、きっと何かが触れるはずだよ。それを光の当たる場所まですい上げるんだ。僕はもう、君の心が衰えてゆくのをただ黙って見ているのには、耐えられない」

小川洋子『密やかな結晶』講談社、2020年、p.285



小川洋子さんと臨床心理学者である河合隼雄先生の対談本『生きるとは、自分の物語をつくること』という本がある。
ちなみに、河合隼雄先生の本は、以前、死にたい夜に効く話【3冊目】で紹介させていただいた。


心と物語の関係を追っていくようなこの本は、自分が知っている対談本の中でも屈指の名著だと思っている。

以下、小川さんの台詞を抜粋。

人は、生きていくうえで難しい現実をどうやって受け入れていくかということに直面した時に、それをありのままの形では到底受け入れがたいので、自分の心の形に合うように、その人なりに現実を物語化して記憶にしていくという作業を、必ずやっていると思うんです。小説で一人の人間を表現しようとするとき、作家は、その人がそれまで積み重ねてきた記憶を、言葉の形、お話の形で取り出して、再確認するために書いているという気がします。

小川洋子、河合隼雄『生きるとは、自分の物語をつくること』2011年、pp.47-48


誰もが作家でなくとも、生きていくうえで意識的であれ、無意識的であれ自分の物語を作っている。読み手は、作家が物語にする行為そのものに、一種の救いのようなものを感じるのかもしれない。

『密やかな結晶』から先ほど引用したシーンは、こんな風に続く。

「物語を書き続けたら、自分の心を守ることができるの?」
「そうだよ」


この小説を初めて読んだ当時はまだ学生だった。長い通学途中の電車の中、毎日何かが辛くて、たまに泣きそうになりながら、ナブナさんの曲をひたすらイヤホンから流し続けていた。

小説であれ、音楽であれ、きっと見えないところで、いつのまにかわたしたちは救われている。


〈参考文献〉
小川洋子『密やかな結晶』講談社、2020年
小川洋子、河合隼雄『生きるとは、自分の物語をつくること』新潮社、2011年