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ある冬の日、幸せになれなかった物語

冷えたアスファルトの通学路。落ちた椿を拾いながら、花崗岩の塀に注ぐ柔らかな日差しに目を細める。
こんな日が毎日続けばいいと思った。
お下がりの毛玉だらけのコートも、重たいランドセルも気にならなかった。
あの時、あの日差しはきっと幸福の形をしていた。それは私の掌の中にあった。

三が日、洗濯物が干せなくなって絶望した。
長期の休みはいつも調子を崩す。軟弱なルーチンは粉々になって、ただ生きているだけの罪悪感が疼いてくる。
淹れるつもりだった安いコーヒー豆の匂いがする。起き上がれなくて床に寝そべる。
満タンの洗濯機に見下ろされる。冷たいだけの床はどうしようもない自分に似ていた。

生きていることは罪で、仕事はそれを曖昧にしてくれる粉雪のようなものだ。時間が経てば雪が溶けて、穴だらけの粗悪な建築が剥き出しになってしまう。
そもそもの前提が間違っていることは知っていて、ただそれを訂正するには材料が足りない。それでも誤魔化して生命活動を続けることが必要だった。
生きる意味を仕事に置き換えるのは何ら違和感がなかった。
粉雪は絶え間なく降り続けなければならない。表面上だけでも人間らしく振る舞うこと。振る舞えること。

また明日が来るよと自分を抱きしめる。
いつだって指の間から零れ落ちていく幸せを拾い集める。
何度だって零してもいい。もうそれを責める人はどこにもいないよ。

明日は来るよ。あの優しい日差しはきっとまた私を照らしてくれる。

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