見出し画像

浴槽と幸福と抱卵

幸福はどこにあるのだろう。

最近、少し眠るのが上手くなった。平日は疲れていて夜に風呂を沸かすのが億劫だったのだけれど、体を温めると寝つきが改善するので、なるべく沸かすようにしている。
暗い部屋で目を瞑っていると不安になる。だから瞼の裏に映像を思い浮かべる。星空に羽ばたいて高くへと飛んでいく景色や、草の上に寝そべって木漏れ日を見上げ風に吹かれている情景。
ここ数日は大きな蜘蛛の下で眠るのが気に入っている。不思議と恐怖はなくて、彼女は卵のように大事に私を抱きかかえてくれる。湿っぽい土の上で夜が静かに満ちていく。足の隙間からは丸い月がさめざめと浮かんでいるのが見える。

今日は嬉しいことがあって、何か特別なことがしたくて帰りにケーキを買ってきた。綺麗な皿に乗せて食べている時は幸せだったのだけれど、食べ終えたらせっかくの幸せを消費してしまった気分になって、少し後悔した。
それから、幸せってなんだろうなと考えていた。

幸福は現象であって物体ではないから、それを感じる主観がなければ存在し得ない。主観に依存した現象の説明は、とても曖昧だ。
じゃあ本当に存在するのか?そもそもどう定義されるのか?
何らかの満足感を定期的に得ることのできる環境のことを指しているのか?
それともただある種のホルモンの血中濃度が閾値を超えたという現象を指しているのか?

私は私という流動的な主観に、感情は常に惑わされ続けている。情動はいつだってアナログで、多面的で、再現性がない。波のように気まぐれなものに乗った、不安定な旅路だ。
正しい航路はいつもよくわからない。けれど進まなきゃいけない。止まったら感情ごと沈んでしまうことだけは知っている。
今は沈まないだけで必死だ。燃料もカツカツだし、明日も進めている保証はない。
それでも、明日が来ることだけを考えている今そのものは、満ち足りていると思うし、幸福だ。

夜が来るたびに気がつかされる、生が当たり前には満ち足りていないこと。
今日も眠ろう、温かな蜘蛛に抱かれながら。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?