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百瀬の論理

『ヘヴン』
川上未映子
出版社:講談社

川上未映子『ヘヴン』(講談社)読む。
百瀬の語るいじめる側の論理と、コジマの語るいじめられる側の論理。それらが交わるはずもなく、つまりは「関係ないんだよ」の百瀬が言い負かす形で、物語は最後の破綻へと向かう。
いじめる側の中学生が百瀬のような怜悧な自己分析をできるわけもなく、実際には善悪とは何かという川上未映子の考察を代弁させる形で百瀬は存在し、この議論がこの小説の核となるわけだが、この核の部分に抜き去られて結局は打ち負かされるコジマの哀れが、最後に切なすぎる。
憎むべき「いじめ」という構造が、まったく憎むべき「百瀬の論理」に収斂されてしまう敗北感。最後に手術をして世界の見え方が変わった「僕」が、壊れたコジマのあとに滑稽にさえ見える。

「あの」文体を捨ててしまった川上未映子。しかしコジマが「僕」の髪を切るシーンのぞくぞくする美しさなど、ネイティブ言語でなくても書けてしまうあたり、やっぱり凄いと思った。
凄い、と、この小説が好きかどうか、は別の話ではある。
この小説を凄いとは思うが、好きかどうかは、ちょっとわからない。が、このコジマという少女を、多分僕は10年経っても忘れられないでいると思う。

(シミルボン 2016.9)

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