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盤山のいま②

3回にわたり紹介する鹿児島県錦江町田代盤山。

盤山に往訪のない方、所在地を知らない読者もいらっしゃるので、花瀬自然公園〜盤山公民館までのルートマップを載せます。こう見ると、盤山がいかほど山深いところにあるか一目瞭然。

山の上にある盤山は、海側の地域と比べると4〜5度ほど気温が低い。暑い暑い鹿児島の夏は涼しく過ごせる。冬は雪遊びができるほどの積雪があったりする。

そんな気候を生かして盛んなのがお茶栽培。今でも広大なお茶畑を8件見ることができる。「山を下から見て、扇風機が立ってるところが畑だよ」。国登志さんが言っていた。夏には茶摘み、秋にはススキが美しい。

暮らしについて

盤山は面積の大きい集落だが、公民館までの通り道で見かける家々はかなり少ない。全部で25世帯、54名の方が生活している。3〜4件の集落がポツリポツリと集まって盤山ができている。そして、住民の半分が高齢者だ。公民館から田代麓まではバスも走っておらず、買い物や病院への移動は車が主な交通手段だ。

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写真手前:功さんとあじさいロード
うしろ:大原小児童と芳子さん。大原小で平和学習をおこなったとき

ーいま、盤山での生活はどうですか?

芳子さん(以下、よ)「歳を取ったら寂しいです、山の中は。もう、本当に寂しいですね」

国登志さん(以下、国)
「みんな知り合い。隣は一件だけどよく顔を出すんだよね。じいちゃんばあちゃんがいるんだけど、『有馬だよ〜』って入って様子を見に行くの」

ーまるでご家族ですね。私は一人暮らし歴が長いけど、錦江町で生活を始めてからアパートで同僚と一緒にご飯食べるようになったりして嬉しいです

「ちょっと顔見るだけで気持ちが落ち着くよね。特別なことじゃないんだけどね」

「だけどね、やっぱり山の中だなと思うよ。だんだん人が少なくなってね、歳を取った人が亡くなってね、もうなんかこう…。姥捨山だよ。あははは。寂しい。だけど、苦労をしたところだからね、もうやっぱり離れられないですね。寂しくても山を見ながら。昔からしたら、これでも町になったつもりです。ここもね、30件くらい家があったんですよ。だけど、亡くなったり、鹿児島に出たり、子どもの学校関係で大根占に下りた人。そういう方が多くてもう2件しかない。でも、人がいなくてもね、盤山部落で会合があるときにはみんな帰ってきます」

ー盤山はホームですね

「共同の精神ですかね。みんな生活は明々だけど、何かあれば集まります。だからやっぱりありがたいですよ」


あじさいロード

盤山の名物といえば「あじさいロード」。約2kmにわたって植えられた苗木は全部で1万2000本。初夏には大輪の花々が迎えてくれる趣ある道路だ。あじさいロードには有馬家に関わり深いストーリーがある。

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5月終わりにあじさいロードを見に行ったとき

ーあじさいロードの紫陽花はどなたが植えられたんですか?

「主人が一人で植えたんですよ。1万本自分で苗木をつくってね。新聞にも載ったんですよ」

「私とか子どもは5、6本しか植えてない。えへへ。…お茶の時期と管理が一緒だから他の人に頼むこともできなくて」

「道路を見ればね、お父さんのことが思い出されてね、涙です。みんな来たら写真を残してくれて…。お父さんが亡くなったら寂しくてね。紫陽花の手入れもできないです。だけど、ひとりで1万本苗木をつくってひとりで植えたということはですね、私はいつも感謝しています。本当に偉かった。やっぱりこの紫陽花が咲く頃には思い出して涙が出ます。頑張った人でした。ひとりでね」

ーなぜ紫陽花を植えたのですか?

「この道は寂しいんですよ。山だし蛇が出たり。一番は孫への考えだったと思います。孫が学校に行くときに、花を見ながら歩けばいつの間にか着くんじゃないかって。鵜野から盤山までずっと植えたんですよ」

「与論は山がなくて海ばっかりだから、来てくださる人に印象が良くなくて『山奥での生活をしていることが悲しい』って言われて。お父さんもこんな山の中と思われるより、花があればいいねって。だから何年もかけて苗木をつくって植えました。それを孫が喜んでね。学校に行くときも寂しくないって。宮崎からも紫陽花を見にきてくれるよ。何に載ってたのかは知らないけど、来てくれてね。頭が下がりました。『よかったね、じいちゃん』って、お父さんに言いかたでした。紫陽花を植えるのも直径3センチくらいの穴を掘って肥料やら一緒に入れるんだけど、その植え方を見たとき、なるほどと思ってね。頭が下がります。ふふふ」

ー夏に大変な作業だったでしょうね

「娘が学校に行く頃はまだ子どもも多かったから、やり甲斐があったんじゃないかな」

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山の緑に青や紫が映える

ー現在、紫陽花の手入れは今どなたがしているのでしょうか?

「町の方が3分の2くらいしてくれてる。3分の1は私が」

「最近、紫陽花も元気がなくなったね。歳を取ったのかなぁ…」

ー今年の5月終わりに紫陽花見ました。大きな花がとてもきれいでした

「与論はお父さんの親戚も多いもんだから、紫陽花のことで新聞に載ったのを見せれば抱きしめて泣きよるよ。(新聞の)お父さんにキスをしながら泣きよる。ふふふ。たくさんの人が見にきてくださって、幸せね…。本当に山の中だったけど、紫陽花を植えてくれたおかげでね、人が通ったり話が出たりすると、お父さんも喜ぶだろうと思って。お父さんの意地だったからできたんだと思います」

功さんがお孫さんや与論の人々を思う気持ちから生まれたあじさいロード。初夏には避暑も兼ねてドライブに出かけてみてはいかがだろうか。


まとめ

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全3回に分けて特集した盤山。力強い歴史を持ち、与論のスピリットを受け継ぐ地域だ。山深く、人影もないのに、どこかあたたかい雰囲気をまとっているのは、受け継がれる与論の人々の想いを身近に感じられるからだろうか。

お茶畑やあじさい、移住者の石碑など奥深い見所がある。芳子さんは「寂しくなった」と言っていたけれど、私たちがあじさいロードの立て札が気になって足を踏み入れたように、夏が近づいたらきっとたくさんの人が盤山を訪ねると思う。

参考:
錦江町役場ホームページ
錦江町役場公式ツイッター

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