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不在が教える不滅のもの

帰宅時にバスに乗るのが好きだ。車高のある窓から、わずかに渋滞気味の傍らに走るクルマの背を眺めている。時折、スマートフォンをいじる助手席の人の像をとらえてしまいそうになるとあわてて目線をそらす。プライバシーを盗み見しているような気分になってよくない。

本当はきっと、「眺めている」体を採りながら「探している」のだとわかっているけれど、実のところ具体的に何を求めているのかは気が付かないふりをしていたりする。

たとえばそう、硬質で美しく魅了した、今はもう消えた「SAAB」を探しているのかもしれないし、通り過ぎる風景の隙間に、あの頃の気配を探しているだけなのかもしれぬ。

私がかくも感傷を親しい友のようにして愛するのには、もちろん理由があるのだけれど、最近はそれ自体が生きる意味にもなっている。

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