成熟すること
「大人女子」という言葉が気持ち悪いと感じる一方で、言わんとしている心理はとてもよくわかるのだ。その昔、高視聴率を放ったフジ黄金期のトレンディドラマの劇中、妙齢の登場人物たちが「世の中ではすっかり大人と呼ばれる年齢になってるのに、内面はまだ10代の少女の頃から何も成長していなくって…」といったようなことを言っていたのを妙に覚えている。
それを見ていたときは河岸のあちら側におったもので、「ふぅん、そんなものかしら」と他人事のように思っていたが、実際に年を取ればとるほどに実感として理解できるようになる。分別だけは年相応に身に着けたものの、あんなことに不安になったり、こんなことに涙したり狂喜乱舞したり、その様は本当に10代の頃と変わらず成長が止まっている部分が確かに存在する。
そんなコンフリクションをもってしてたぶん、「大人女子」と呼ぶことですべてを許そう、あるいは許してもらおうという概念なんだと思う。けれどやっぱり、内面がどうであれ、人が生まれ死んでいく事実のなかで、成熟していくことが自然の摂理なのならば、大人の女性が自らを女子と呼んでキャッキャとしているのはみっともない。
いいではないか、「大人の女性」で。
「大人の」も、女子ではなく「女性」という言葉にも、「だってまだまだそんなところに到達できる自分じゃないのです」というおこがましさを孕むとしても、大人にはカッコいい成熟を示していく義務もあるんじゃないのだろうか。
photo by luigi morante
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