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選ぶこと

駅へ向かうルートはいくつかあるが、ほとんどの場合、小さな緑道を通って地域の人により、大切に世話されている植物の変容を見ながら歩くのが気に入りのコースだ。家を出ると、駅を目指す一群がわずかに形成されて、横断歩道を渡りきるまでは一緒に足並みをそろえるのだが、ここでわたしだけ左に折れて緑道に入っていく。他の人たちははるかにシンプルでより駅に近いルートを選ぶので、ここでお別れとなるのだ。特別に「こうでなければならない」という決まりではない事を、後生大事に守ることが好きなようだ。

どうして人は、「これを愛す」と決めるのだろう。

いずれにしても、そのようにして生きてきた歳月に「これを愛す」と決めたものたちで自分がつくられていく。無数にある選択肢のなかから、あえて「これ」と手に取っていく行為の積み重ねが、今日のわたしなのだから。たとえ一般的な幸福とかけ離れていく選択をしているとわかっていても、それらを手にしてきた道のうえに、いまがある。

それであればもっとも必要なことは、「これを愛す、と決めてきた道のうえに在る、自分をこそ愛す」という境地に達せねばならぬ。

にも関わらず、あまり自分を愛せないわたしはきっとどこかで手にするものを間違えて生きてきたのだろうな。

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