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敵わなかった読了、完敗の記録

ときどきあるのだが、新聞の書評を読んで強く関心を持った本を読み切れなかったという経験。これはすごく悔しい。たとえばこの本などは、内容における興味関心度でいうと最高レベルであったのに、どうにも読み進めることができず、とうとう断念してしまった。『デジタルで読む脳×紙で読む脳』だ。

書評や他の方の感想、本書の巻末に掲載されている解説を読むと、やはり求めていた内容であることがわかるのだが、自分自身で格闘することがかなわなかった。わたしの場合であるが、こういうとき大抵翻訳のリズムが自分と合っていないときに読了できない傾向にある…。本当に残念。本書の内容を“それなりに” 記すならば、

「読む脳」とは遺伝子上で自然とできることではなく、学びとして育成しないと成長しないのだそうだ。この前提に立ち、「読む脳」が次第に発達してくると「深い読み」ができることになり、推論・分析・共感・視点取得などが統合されて新たな思考モードを生み出す。ところが、デジタルメディアが情報を氾濫させていくと、こうした「深い読み」ができなくなってきてしまう。理由は、斜め読み、飛ばし読みが標準モードになってしまい、文章の細部に分け入り把握する力が失われていくのだという。本書では、いかにして「読む脳」が「深い読み」を獲得していけるかを科学的に解説しており、非常に興味深い(断念してるけど…w)。

が、デジタルを悪者扱いしているわけでなく、そういう時代において、いかにして紙とデジタル両方で「深い読み」ができるバイリテラシー脳を育てていくか?という点が本書のおそらくメインテーマ。どうですか?読みたくなりません??

特に今回のコロナ禍において、教育機関はデジタル化、オンライン化を国際標準で進める必要性が出てきた。この、デジタルを媒介とした「深い読み」ができる脳に育てなくてはならないという、急務必須の問題となったわけである。そうなのだ、「読む脳」が決して自然取得されるものではない、という驚きの事実のもとで自主的積極的にデジタルでも「深い読み」ができる「読む脳」を育てていなくてはならないのだ。

自分などは日ごろルーティンのようにして、相当数のデジタルメディアを読み流し、主には見出しの巧さ(本文を読みたいと思わせるか、または本文をちゃんと受けたタイトルになっているかの検証)をばばばばばばーっと読み流しており、新聞だけは紙媒体でしっかり時間をかけて読み直す。そうしないと本当に重要な知識が残らず、完全にデジタルでの「読む脳」が未発達な状態なのを自覚している。

手元に置いておいて、もう少し格闘しようかなという気分で締めくくることにする…。


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