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オーバカナル

20代の終わり、人生の上での確かに何かが大きく変容する季節に、仕事で知り合った年上の女性とよく行動を共にしていた。年上といっても15は軽く先輩だったので、わたしの方ではやはりなにがしかの「つきあい」という観念が働いていたと思うが、相手の方ではそうではなく、混じりけのない友情でもってわたしを必要としてくれていた。その女性がよく、好んで連れていってくれたのが赤坂のオーバカナルだった。サントリーホールの前の、といった方がわかりよいかもしれない。

大抵、どこの店舗のオーバカナルもそうであるように、赤坂の店舗でもディナータイムの客のほとんどが外国人だった。気取りのない店であったが、当時の自分にはかなり大人びた場所であり、連れていってくれるその女性がいなければまともに呼吸すらできないほどであった。そして彼女が好んだのが外のオープン席であり、季節が秋から冬に移っていくときにも吹きさらしの席を選んだ。暑がりで寒がりなわたしは内心では「…どうして居心地のよい中の席にしないのだろう…」と思っていたが、今ならばわかる。

目の前にサントリーホールを控えたその店のオープンエア席は、コリドーのなかにあって見上げると赤坂のビル群が美しく詩的だ。夕暮れから夜の闇が濃くなっていくさまなどは、刻々と見逃せない物語性に富む。寒い季節、ストーブのそばに陣取り、ひざ掛けにくるまりながらワインを飲んだ。さほど寒さを感じなかったのはそのせいだったろう。

カウンターには海外の方々が楽し気に杯を交わして、煌々と照らす明るい光が見るからに幸福さの象徴のようだった。

その年上の先輩といつしか会わなくなり、気づけば私が当時の彼女くらいの年だろうか。今やっと、オーバカナルで一人、シャンペンを飲めるくらいにはなったのに、なんと昨年オーバカナル赤坂は閉店してしまった。

わたしの年末ルーティンは、サントリーホールで第九を聴くことなのだが、さらにコンサートの始まる前に、オーバカナルでシャンペンを一杯気付けのようにいただくことが好きだった。美しい回廊の上にのぼる月とビル群の灯りが都会ならではの感傷を与えてくれた。

ひとつ消えるたびにひとつ増えていく。それが思い出なのかもしれない。

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