見出し画像

新しい視界

いつまでたっても涼風の立たない、暦上だけは「秋」といえる時季になって、とうとう感傷に追いつかれてすっぽりと取り込まれたのがわかった。それからはもう大変、何を見ても追憶のなかに沈み込んでしまって涙しては過去に生きるようになってしまっていた。理由はわかっていたので、わたしはとりあえずそのままの状態を味わうことに決め、最終的にどうそれらが自分に影響するのかを観察してみようとした。

気持ちを残したままで別離を選んだ人と、ある取り決めをして6年ほど互いに連絡を取り合わずにいる状態を継続することができていた。何度も何度もくっついたり別れたりを繰り返した人で、こんなに長い期間ひとつの連絡すらしないでいられたことはなかった。弱いわたしたちが心の弱ったタイミングにどうしても互いを頼ってしまうことを知っていたので、ある理由からなんとかそれを断ち切るために「何があっても連絡をしない、どんなつながりも持たない」ことが、わたしたちのくだらない関係のなかにもし愛情らしきものが存在するのなら、関係を断つことで互いに証明しようと決めたのだ。

6年、これはわたしが生存の危機に関わる大きな病気だとわかってから、またその治療をしてもう一度世の中に戻ることを許されたすべての期間であった。そして、この人と永久に会わないことと引き換えに再生を誓った。

喉元過ぎれば熱さを忘れる、というがごとくに、6年が経ち医師からも再発のリスクがなくなったお墨付きをもらい、すっかり知力体力ともに健康体であるように感じられるようになったわたしは、真っ先にかの人の不在を悲しむ感情にのまれるようになったのだ。

そのことがわたしにとっては、本当に「病後」すら終わったのだ、と感じられることだった。もう一度何かを求め、欲するという欲求が自分の生に再び戻ったことがわかった。病後を必死で生きてきた期間、ただ生かされている、自分ごときがもう一度…、という思いが強く、生活をするだけで他に何かを望む欲求は感じることがなかったから。ひどく勝手で、唾棄すべき情けない人間であると自覚しながらも、おかしなことだが欲を持てるようになったことがほんの少しうれしくもあった。

そしてわたしが禁忌を破ってかの人に連絡すると、かの人はそこにいた。

………。


感傷の虫に憑りつかれた理由もわかる。そして存分に過去に身を投じて季節の移ろいを堪能した。今また、新しい自分として追憶から脱却できる気がしてきた。まだ完全でないとしても少なくとも視界が驚くほどはっきりしていることに、まだ自分も見捨てたものではないなという気持ちになれるのだった。

photo by trysil

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?