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不思議と神秘と騎士道精神の砦

学生の頃は、どうにかして反抗してやろうと虎視眈々となんの問題も生じていないところに問題を見ようとして、恵まれた環境のなかでときにレジスタンスを気取っていたりした。愚かだな、と苦笑せずにあの頃を思い出すことができないくらいではあるが、それが若さなのだと言って聞かせる最近だ。

それなのにわたしの本質ときたら実際、かなりの「保守」なのだということがこのところやっとわかってきた。けれど不思議です。

「保守」が「保守」たらんとするためにも、闘うことが必要だったりするのだから。そしてそれが派手なアクションであればあるほど、一見真のレジスタントにも見えてしまうという矛盾を見抜くことができずに、自分自身すらも長年気づくことができなかったほどだ。

わたしが本当に愚かなのは、目に見えない自分の内側の砦をこそ絶対に死守すると決めたことで、目に見える外側の世界の現れが、結局革新的にならざるを得なかったことだ。それでは何が一体保守なのか、わからなくなってしまうね。

内側の砦は、すべからく不可侵で堅牢に守られていて、そこにだけはまだ、アーサー王伝説のごとき、不思議と神秘と騎士道精神が息づいていたりするのだ。

画像:アーサー・ハッカー『The Parasol』

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