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蒼穹は孤独に通じ、

 その夜は船団くにじゅうが浮かれていた。改元だったのだ。世界各地の寄港地を巡り終え、どの船の航海士も風詠みもタービン番も、新たな船出に酔いしれていた。中心部の王宮船では盛大な宴が開かれたそうだ。更に外側に位置する病院船でさえ、甲板の上は例外ではなかった。

「……っと」
 ジョゼは欠伸も溜息もかみ殺した。船倉薬草園は例外の一つだ。甲板の夜は農業の昼。宮廷薬師が開発したという熱くない灯りが煌々と、ジョゼには名前の見当もつかない草木を照らしている。相方のパガン爺と二人きりでは階上の乱痴気騒ぎが信じられなかった。

「薬は量を過てばたちまち悪しき毒になります。だからこそ薬草園には不寝番が必要なのです」
 院内自警団《セイウチの牙》の入団式の時に聞いた、院長ことイッカクのお妃さまの訓示を思い出すくらい、その時までは、平和で、暇だった。

『おい! 助け』
 突如、伝声管が震えた。ほぼ同時に、船は何かにぶつかったように大きく横に揺れ、また元に戻った。
「こちら薬草え」応答したパガンが泥に吞まれた。

「え?」
 浸水でも海水でもなかった。光の下にあってなお黒くぬらりと艶めく泥が、船底から生えていた。泥はパガンを吞んだことを忘れたように平たくなったかと思うと高波の如くジョゼに襲いかかる!

「伏せて!」
 いきなり上から声が聞こえた。従う。一拍遅れて閃光と轟音で床が震えた。
「こっちに!」
 泥は今の衝撃に怯んでいるようだ。その隙にジョゼは階段を駆け上がる。登り切ってすぐ、病室区画に続く扉からぐいと肩を掴まれ薬草園をまろび出た。

「あなたセイウチの牙よね? 誰かが《トビラ》を開けてしまったの。一緒に来て」
 声と腕の主はうら若い女だった。

「あの」ジョゼは言い淀んだ。
 新聞でしか知りませんけど、あなたはイッカクのお妃さまの娘、クラカケアザラシの徴を戴く姫さまでは? 陸で遊学中のはずでは? もう出港しているのに?

【続く】