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遠藤周作『海と毒薬』紹介

YouTube解説はこちら。
https://www.youtube.com/watch?v=fm0g65E9NJI

はじめに

 今回の小説は単純明快、一言で言えば、「戦時中に人体実験をやらされていた医者の回顧録」です。とはいっても、刺激の強いエピソードだけで読ませる大味の大衆向けエンタメ小説ではありません。罪の意識と真摯に向き合う人間の内面を丁寧に描いた作品です。

あらすじ

良心的で小心な医学部の助手が、何故、生体解剖というショッキングな事件の現場に立ち会うことになったのか? 彼の置かれた条件と過去を照らし、人間の意志、良心を押し流す運命を描く——。日本人にとって神とは何か、罪とは何かを根源的に追求した問題長編。

『海と毒薬』(講談社文庫)より

 なんと本作は太平洋戦争中に実際にあった「九州大学生体解剖事件」を題材にして書かれています。Wikipediaによると、この事件は

 九州大学生体解剖事件は、第二次世界大戦中の1945年に福岡県福岡市の九州帝国大学(現九州大学)医学部の解剖実習室においてアメリカ軍捕虜に生体解剖(被験者が生存状態での解剖)が施術された事件。相川事件ともいわれる。
 大学が組織として関わったものではないとの主張もあるが、B級戦犯裁判ならびにその後の関係者の証言、関係者の反倫理的行為への意図的な隠蔽と否認などから、医学部と軍部の両方による計画的実行であったとする見解もある。 物的証拠は無くあくまで証言のみで有る。

Wikipediaより

とのことです。Googleで「生体解剖」と検索すると一番上にヒットするくらい有名な事件です。ただし、この作品は「九州大学生体解剖事件」をモデルとしているだけで、作中に出てくる病院名や関係者の名前、もちろん動機なども創作です。

作者について

 遠藤周作(えんどうしゅうさく)。1923年(大正12年)生まれ、1996年(平成8年)没。3歳から10歳まで満洲に住んでいて、両親の離婚をきっかけに帰国。伯母さんがキリスト教の信者だったこともあり、教会に連れて行かれるようになり、入信、洗礼名ポール(パウロ)。
 1948年、慶應大学を卒業後、1950年、カトリック留学生として戦後初めて渡仏、リヨン大学で学ぶ(キリスト教関連の体験が遠藤周作の創作に大きな影響を与えています)。
 1955年「白い人」で第33回芥川賞を受賞、1958年に本作『海と毒薬』で新潮社文学賞・毎日出版文化賞、1966年もうひとつの代表作『沈黙』で谷崎潤一郎賞を受賞。
 コリアンサンジン、通称コリアン先生の別号を持ち、ユーモア作家として一斉を風靡する。

本編

 物語は一人のサラリーマンが西松原(東京の僻地)に引っ越してきたところから始まります。彼は気胸(肺の病気)を患っていて、定期的に病院で注射を打ってもらう必要がありました。

 家の近くには勝呂医院という、病院と言うにはあまりに粗末な作りの医院が一軒だけありました。彼が尋ねると、雨戸が閉まっていて、やっているかもよくわからない。呼び鈴を鳴らしても誰も出てこないので、庭の方に回ってみると、診察着の男が顔を出しました。

 歳は40ぐらい、顔は青黒くて、ぼんやりと焦点の定まらない目をした医者でした。「診察してほしいんですけど」というと、「レントゲンの写真がないとな」と言って、また雨戸を閉めてしまいました。すっごい無愛想。

 後日、レントゲンを持って再度勝呂医院を訪ねます。診察室は嫌な臭いがするし、診察着には血のシミがついているし、相変わらず無口でぼんやりしていて、何を考えているのかわからない医者ですが、腕だけは確かな様子です。

 体を触る手が妙に冷たくて嫌な感じがすることを除けば、痛みもなくアッという間に注射が終わってしまうのです。「なんでこんな優秀な医者がど田舎にいるのかな」と不思議に思うようになりました。

 東京に引っ越してきてから一ヶ月、妊娠している妻の代わりに妻の妹の結婚式に九州に行きます。そこで新郎の従兄と話す機会がありました。従兄弟は九州のF医大を出た医者でした。勝呂がF医大の出身だったことを思い出した彼は、もしかして、と思って、「勝呂という医者をご存知ですか?」と尋ねてみました、すると新郎の従兄は

「いや、あの人は……御存知か知れませんが、例の事件でな」と急に声を潜めて話し始めました。

『海と毒薬』(講談社文庫)より

 翌日、新聞社を訪ねて過去の新聞記事を読ませてもらいました。その記事というのが、「戦争中にF医大で行われた生態解剖の裁判の記事」でした。

 それは戦争中、ここの医大の医局員たちが捕虜の飛行士八名を医学上の実験材料にした事件だった。実験の目的はおもに人間は血液をどれほど失えば死ぬか、血液の代わりに塩水をどれほど注入することができるか、肺を切りとって人間は何時間生きるか、ということだった。解剖にたち会った医局員の数は十二人だったが、そのうち二人は看護婦である。裁判ははじめはF市で、それから横浜で開かれている。私はその被告たちの最後の方に勝呂医師の名をみつけた。彼がその実験中何をやったかは書いていない。当事者の主任教授はまもなく自殺し、主だった被告はそれぞれ重い罰をうけていたが、三人の医局員だけが懲役二年ですんでいた。勝呂医師はその二年のなかにはいっている。

『海と毒薬』(講談社文庫)より

 なんとなく繋がってきましたね。勝呂医師はこの事件をきっかけに変わってしまったのではないか、と(実際、九州の事件に関わった医師が廃人のようになっていたという記事もあります)。

 東京に帰った彼は勝呂医院で治療を受けます。その際に、「先日、F市に旅行してきましてね」と、それとなく伝えます。勝呂医師も何かを察したんでしょう。低く、くたびれたような声で言います。

「仕方がないからねえ。あの時だってどうにも仕方がなかったのだが、これからだって自信がない。これからもおなじような境遇におかれたら僕はやはり、アレをやってしまうかもしれない……アレをねえ」

『海と毒薬』(講談社文庫)より

 本作のメインはここからです。以後、「アレ」こと「生態解剖事件」の全容と、勝呂医師の過去が明らかになっていきます。

 F医大の研究生だった勝呂は、友人の戸田という男とベテラン医師である橋本教授のもとで医学を学んでいました。
 勝呂の担当している病室には「おばはん」と二人が呼んでいる患者がいて、勝呂は彼女を密かに「自分の初めての患者」だと思っていろいろと気遣っていました。ただ彼女の病状は重く、助かる見込みがありませんでした。

ほんとうにみんなが死んでいく世の中だった。病院で息を引きとらぬ者は、夜ごとの空襲で死んでいく。

『海と毒薬』(講談社文庫)より

 そんな「死」というものが珍しくなかった時代です。「おばはん」のような助からないことがわかっている患者は珍しくありませんでした。

 時同じくして、医学部長が急死、その後釜を巡ってけ大学病院内で権力争いが起こっていました。現在候補として名前が挙がっていたのは、勝呂らの上司である橋本教授と第二外科部長の権藤教授でした。

 経歴から言って橋本教授が次期医学部長に就任するのがふさわしいように思われていましたが、権藤教授は軍部とねんごろになって他の教授たちを票を集めていたのです。このままではまずいと思った橋本教授らは、戦況を覆すべく、新しい治療法の開発に取り組んでいました。ただし、新しい治療法をためすためには被験者が欠かせません。
 そこで被験者に選ばれたのが「おばはん」でした。このままにしていても助かる見込みがないし、だったら新しい治療法を試してみないか、と持ちかけて、半ば強引に同意を得たわけですが、実際、成功率は5%程度というオペという名の実験でした。
 感覚の麻痺した医者たちにとって、一人のなんでもない患者の死などたいした意味を持たないのです。勝呂はそれを知っていましたが、何ができるわけでもなく、橋本教授の決定に従う他ありませんでした。
 ただ、勝呂の中で「おばはんは俺がなんとかしてやる!」という意気込みだけは消えていませんでした。ところが、オペの直前に「おばはん」は病状が悪化して亡くなてしまいました。
 また、昇進を妨害しようとする他勢力の意図も働いていたようで、橋本教授は大切な患者を手術の失敗で殺してしまいます。これによって橋本教授が医学部長になれる見込みはほとんどなくなってしまいました。

 そんな折、橋本教授らを筆頭に持ち上がったのが、アメリカ人捕虜の生体解剖実験計画でした。もちろん倫理的に問題ありまくりで、いずれ死刑になる予定の米軍兵相手でも許されるわけありません。
 しかし、「医療の発展」という大義名分や「軍の圧力」、「戦争中という極限状態」が彼らの判断を狂わせてしまったのです。
 若き日の勝呂は橋本教授の教え子だったこともあり、生体解剖のアシスタントに抜擢されました。

 次の「第二章 裁かれる人々」では、話が前後して、事件後の告白(手記)という形で、看護婦の上田と勝呂の同期である医学生の戸田が生体解剖という残虐な行為に手を貸してしまった経緯が描かれています。
 そして最後、「第三章 夜のあけるまで」では事件の詳細が描かれていきます(ややグロテスクな描写がありますので、苦手な方はご注意ください)。

物語の主題

 殺人というインパクトのあるシーンに目が眩んでしまいがちですが、彼らが生体解剖という悪魔の所業に手を貸してしまうまでの心の遷移にこそ遠藤周作が描きたかった主題「神の不在や根源的な罪悪」があります。

 勝呂らはこの誘いを断ることもできたのに、なぜ教授の誘いを断れなかったのでしょう?
 アシスタントを了承した後に交わされた勝呂と戸田の会話がこちらです。

「お前も、阿保やなあ」
と戸田が呟いた。
「ああ」
「断ろうと思えばまだ機会があるのやで」
「うん」
「断らんのか」
「うん」
「神というものはあるのかなあ」
「神?」
「なんや、まあヘンな話やけど、こう、人間は自分を押しながすものから−–運命というんやろうが、どうしても脱れられんやろ。そういうものから自由にしてくれるものを神とよぶならばや」
「さあ、俺にはわからん」火口の消えた煙草を机の上にのせて勝呂は答えた。
「俺にはもう神があっても、なくてもどうでもいいんや」
「そやけど、おばはんも一種、お前の神みたいなものやったのかもしれんなあ」
「ああ」

『海と毒薬』(講談社文庫)より

 勝呂は初めての患者だと思っていた〈おばはん〉の死をきっかけに、自分の無力を痛感し、一種の自暴自棄状態に陥ってしまい、生体解剖の話を持ちかけられた際にも断る気力が出なかったと……そのように読むことができます。
 勝呂の気持ちもわかりますよね。皆さんの人生でも一度や二度あったでしょう? いわゆる人生のどん底状態に立たされ、罪悪感のメーターが壊れてしまった経験。「今ならどんな悪いことも出来るぜ!」みたいな(私にはあります)。
 しかし、人生のどん底にいるからといって、倫理に反することが許される道理はありません。

「海と毒薬」というタイトルについて

 この「海」というのは、人々を無言で押し流してしまう大きな流れのようなものを意味しています。本作では戦争や時代のことを指します。
 では、「毒薬」とは何か。人を破滅に向かわせる心の作用とでも言いましょうか。勝呂の場合は、〈おばはん〉の死がそれにあたります。

 私がなんとなく似てるなと感じたのは、十九世期の哲学者キルケゴールの『死に至る病』です。
 あまり深掘りできないのでさらっと流しますが、キルケゴール曰く、ここで語られる「死」というのは心の死であって、自暴自棄になって罪の意識や傲慢への抵抗が消えてしまっている状態を指します。この絶望状態であり続けることは罪なのだそうです。また、絶望から救ってくれる存在がキリスト教のような信仰なのだと、そのようなことをが書かれていました(と記憶しています)。

 遠藤周作もキリスト教の信者なので、同じように感じていたのでしょう。
 日本人はキリスト教のような大きな信仰がないから、一度絶望状態に陥ると復帰することができず、生体解剖のような倫理に反したことを行う際にも罪悪感が働かないのではないか、と。

 毎日のように誰かが死んでいる時代に、生態解剖が罪であると、誰が言えたでしょう。殺人という倫理に反することであっても、戦争とか医学の進歩といったもっともらしい名目があれば簡単に踏み越えてしまえるのです。
 そんなときに私たちを諫めてくれるのが、神なのかもしれません。

終わりに

 なお、勝呂医師のその後を描いた『かなしみの歌』という続編があります。これが辛いのなんのって……。
 東京でひっそりと暮らしている勝呂の過去に正義振りかざしてずかずか踏み入ってくる新聞記者がいましてね、これ「ネットに溢れてる私刑みたいじゃないか」と、苦しくなりました。
 素晴らしい作品ですが、蓬生のように心の弱い方にはおすすめできません。


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