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教える難しさ

 私は現在、SBS学苑でマジック教室の講師をしている。
 すると毎回、教える難しさに直面する。
 たとえば、マジシャンが当たり前に行なっていることは、生徒にとっては当たり前ではないということ。


 教室で一番最初に教えるのがトランプの持ち方だ。
 実際に私がトランプを持って見せ、真似してもらうと、ほとんどの生徒が間違える。指の位置が違っていたり、手の形が違っていたり。なので「親指の腹に左の縁を当てて、人差し指を奥側に置いて……」などと言葉で説明して修正していく。それでも、依然として思うようにいかない生徒もいる。


 トランプの持ち方ひとつとっても正しいフォームがあり、私のように20年もマジックをやっていれば嫌でも身につく。しかし、カードゲームすらやらない人たちにとって、正しい持ち方や配り方など想像すらしたことがない。また、「このように持ちます」と見せても、手の形を模倣するという行為に慣れない人たちには困難なのだ。指先の技法を使うマジックを教える時、こういったズレが顕著になる。


 これはスポーツに似ている。
 一般に、運動神経(この言葉は好きではないが便宜的に)が良いとされる人たちは、どのスポーツをやっても上達が早い。これは模倣力が高いため、どの競技にも体を順応させることができるからである。しかし、運動神経の悪いと言われる人たちは、模倣に必要とされる身体感覚が未熟なのだ。体の動かし方は、「太ももを高く上げろ!」とか「腕を大きく振れ!」など、言語化によってある程度の補正はできるが、最後は単純に模倣に関する感覚の積み重ねが剥き出しになってくる。
 ジャニーズにマジックを教えたことがあるマジシャンから聞いた話だと、彼らはとてもマジックの習得が早かったという。それは普段から歌やダンスを短期間でコピーする必要に迫られているからだろう。


 さらに教える上でややこしいのが、マジックの持つ特性だ。
 マジックは、観客に見えている部分と裏で行なっている秘密の動作にギャップがある。
 たとえば、一枚のコインを右手から左手に渡したフリをする。
 左手を開くと観客からはコインが消えたように見える。これを現象に落とし込むためには、左手にコインを持っていると認識されるべきなので、マジシャン自身の意識と視線も左手を向いていなければならない。また空のはずである右手はリラックスし、意識の外に逃がしてやる必要がある。
 しかし、やってみれば一目瞭然だろう。右手は不自然に強張り、無意識に視線を右手に送ってしまう。さらに慣れないうちは、「左手にしっかりと握ります」と、苦し紛れの嘘までついてしまう。見ればわかることをわざわざ説明するなんて、「私は嘘をついてます」と白状しているようなものだ。苦手な人は、何度注意しても同じ過ちを犯す。


 これはマルチタスク的な思考力に拠る。
 私はセールスマンをしていた時、お客さんと雑談をしながら売りたい商品へ話題を誘導することが得意だった。表で行なっている雑談と、裏で行うセールスのきっかけ作りの同時進行の技術は、きっと、マジックをしていたから身についたのだろう。


 模倣もマルチタスクも、慣れてしまえば無意識レベルで行えるようになるが、マジックを始めて一朝一夕には身につく能力ではない。そのことを念頭に置いてレクチャーをしなければ、生徒を置いてけぼりにしてしまう。
 ちょうど、乗れなかった頃を思い出しながら、子どもに自転車の乗り方を教えるような感じか。ハンドルの切り方の前に、バランスの取り方や安全な転び方を忘れずに教えなければ。


 これから教育や人材育成に進んでいきたい身としては、良い勉強の場になっている……ということで、宣伝でした。


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