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宇佐見りん『かか』を読む(2022.7.14)

ねえ、こんなこと言ったら怒られるかもしんけど、もしかしたらここにはもう神も仏もいないかもしらんね。かみさまなんかがいたら、こんなに淋しいはずがないんですから。

(宇佐見りん『かか』より)

インプットの多い一日だった。

『かか』と『ロジカル・シンキング練習帳』の二冊を読み終える。米澤穂信の『満願』もそろそろ終わりそう。

宇佐見りん『かか』について、少しだけ書く。同著者の『推し、燃ゆ』が文庫化されていないので、とりあえず読んでみたが、なかなかどうして芥川賞作家だった。

『かか』は、19歳の女の子「うーちゃん」が「かか(お母さん)」について語る作品。

うーちゃんの家は家庭環境がよくない。父親は浮気して家を出て行った。祖母は死んでしまった長女の娘・明子を溺愛し、認知症からもう一人の娘=かかやその子どもたちのことを忘れ始めている。くわえて祖母は、「お前は夕子(長女)が一人だと淋しいと思ってついでに産んだんだ」と、ことあるごとにかかを責める。

いろんなことが重なってかかは精神を病んでいる。かかは酒を飲んで暴れ、うーちゃんを苦しめているが、うーちゃんはかかのその行為を自傷だと知っている。うーちゃんはかかを憎みながら愛している。それはもう魂が一体化するほどに。

危うい母と娘の関係に胸が苦しくなる。

このような関係性は別の母娘ものでも見たことがある。設定だけなら、桜庭一樹や笙野頼子あたりも似たような作品を描いていた気がする(もちろん肌触りは全然違う)。父と息子のエディプス的展開ではなく、かといってターゲットとなる父がいないのでエレクトラ的になるわけでもなく、裡に向かうというか、母と娘が同化していく感覚。

男女の親子ものでは明確な違いがある。中上健次『枯木灘』のように、息子が父との血のつながりを忌み嫌うものとは根本的に構造が違う。男はやっぱり、父を憎み、その父親に似ていく自分を受け入れられないことが多い気がする。なにを隠そう自分もそうだし。でも、いずれ父を受け入れたり、一変して尊敬の念を抱いてしまったりするのだろうか、なんて考える。

とはいっても、うーちゃんのように、「かかを身籠りたい」という考えは逆立ちしても出てこない。昔からずっと思っているけど、すべてを「出産」によって取り込んでしまえる女性、すごい。自分の体内に他者を宿すという行為の重大さやは神聖さは、男には備わっていない。

書きながら気がついたけど、最後のシーンの信仰はそこに繋がっているのか(ラストでうーちゃんが観音様に祈りに行く)。

ところで作者の宇佐見りんさんは沼津市出身だと聞いていたけど、略歴を見たら神奈川出身になっていた。確認したらWikipediaは沼津だった。あまり長く住んでいなかったからだろうか。それとも消したい過去なのだろうか、とか深読みオジサンをする。

「二番目に若い芥川賞受賞者」だと記憶していたけど、これも違って、綿矢りさ、金原ひとみに続いて三番目だった。それでもすごい。デビュー作からとんでもない筆圧。三島由紀夫賞受賞者としては最年少だし。

35歳の自分が狙える「最年少」が思いつかなくて少し淋しい気持ちになる。いや、あるぞ、最年少内閣総理大臣とか。


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