波乱人生ー依存、一人での出産
北海道に帰ってっきた。
実家に、頼れる人はもういないけれど
それでも住み慣れた実家近くに帰ってきた。
この時の私は、今思うと
かなり心身がズタボロで
たくさんの苦しみ、痛み、人への怒り、恨みで
もう満タンを超えていたように思う。
さらに、自分と向き合うこともできず、
今までの自分の何がいけなかったかなんて
全く省みることができなかった。
そうなるとどうなるか。。。。
周りで嫌なことが起きると、
ものすごく怒りが吹き出して、心から「死んでしまえ!」と思った。
例えば、前を見ずにぶつかってきた人にすら、そう思った。
この世の中、しね!なんていう言葉で溢れている。
もしかしたら、こんな状況が多発しているのだろうか。
自分でも受け止められないくらいの、痛みや苦しみで溢れてしまった人が
たくさんいるのだろうか。
そして、今までのことの何がよくなかったかを
あまり考えることがまだ出来なかった。
また、男性に対する依存を起こし、
なんとか付き合う人を探そうと、出会い系サイトに登録し
会った。
すぐには、恋人はできない。
男の人もかなりズルくなってきているのか
会って、食事しようと誘い出しても
すぐに車で押し倒して、はい、さよなら、なんてくらいはよくあった。
この頃は、援助交際が蔓延していて
無料でやれる、ことが少なくなっていたらしい。
ずるい男は、ただでなんとかしようと、
嘘をつく。
今、思うとその時は、何も感じないように
心を守っていたけれど
今思うと、男にひどく憎しみや怒りが溜まっていることに気がつく。
そして、一番の大元は、数回あった性暴力だ。
これは、この後も出てくるが私の人生で、
何よりも私を苦しませている出来事だ。
男性への依存、性依存
憎しみながらも、そこへ飛び込んでいた。
それを、再体験という心理学もあるようで
昔のトラウマと同じような出来事に
突っ込んでいくことは、多くあるようだ。
ただただ苦しい。
そんなことはしたくないのに、
またしてしまったと、自分を責め
自分なんて、汚いとひたすら、体を洗い続ける。
案外、早く、恋人ができた。
引っ越してから、半年くらいだったと思う。
その人は、バツイチで子供が二人いるという。
最初は、悩みを打ち明けあっていたが
そのうちに会って
お互いに気に入った。
彼は、嫁に浮気されて、別れたと言っていた。
彼は、私と結婚したい、私との子供が欲しいと、何度も言った。
私は、DVなどで完全に生理が止まっていて
6年くらいで2回、あっただけだったので
「もう子供は産めないんじゃないかな、
もし子供ができたら結婚する?」というと
嬉しそうに、そうする!と言っていた。
何ヶ月か経つうちに
あれ?と思うこともあった。
かなり一緒にいるようになって
光熱費も増えたので
少し負担してくれないかな、と言った時、
急に彼は、「俺に金払わそうとしてるの?」と
キレた。
たまに思い切りデコピンや、急所を攻撃して
私が泣くとゲラゲラ笑っていた。
お酒を手から離さない。
それでも、今までの交際からすると
まだまだいい方で
すぐに離れようと思わなかった。
何よりもそれは、依存が元になっているのだけれど
自分でその時に気が付けなかった。
私は あっさりと妊娠してしまった。
それも、太っていたので
お腹の出っ張りに気がつかなかったが、流石におかしいな、と思ってから
やっと検査し、陽性で
病院に行った。
なんと、双子で6ヶ月。
「え??双子ですか?」
つい嬉しくなって喜んだ。
「ねぇ、赤ちゃんができたよ!双子だって!」
彼に言った。
「え?」
微妙な表情だ。
その日は、一旦
「それじゃあ、頑張らないとな。」
と言っていた。
また次にあった時には
「俺、結婚できないわ。金ないし。」
そう言う。
「え?あんなに、結婚しよう、子供が欲しいって言ってたよ?」
「恥ずかしくて、会社にも言えないし。」
「恥ずかしいって何?」
ものすごい喧嘩だらけの日々になった。
その後、色々わかった。
彼は、まだ離婚が済んでなかったこと。
別居はしていたが、まだ離婚していなかった。
それは、すぐに離婚してくれた。
債務整理していて、
お金があまりないと言っていた。
そして、離婚してすぐに、子供が出来たなんて会社に言えないという。
この時も、ひどく泣いた。
それでも、お腹は二人の赤ちゃん。
堕す、選択肢はなかった。
どうにかして、一人でも産もうと思った。
この時、私はまだ生活保護だった。
生活保護だから産めないということはないが、
もちろん、「なんだ、お前。」という気配はずっと出される。
長女を産んだ病院に行ってみると
「いや〜、あなたみたいな太った方はちょっと〜〜。」とにやけながら
断られた。
ネットで、色々と探し、
立場の弱い人の出産を受け入れてくれる病院を探した。
あとは、出産費用だが、
お金がない場合の出産は、保健センターで
出る場合があるということで
行ってみた。
すると、今までの生い立ちから
どうして、産むお金がない状態なのかを全て話さなければならなかった。
お腹に赤ちゃんがいたこともあったのか、
帰りには、自分の状態をいっそう理解し、
久しぶりのパニック障害が起きた。
そして、道端でうずくまって泣いた。
こんな、精神状態の悪いまま、2回の出産、
どれだけ赤ちゃんに嫌なものを伝えただろう。
双子ちゃんは
順調に育っていたが
途中で、一人の体重がどんどん減った。
双子の場合、どちらかにうまく栄養がいかず
死んでしまうこともよくあるようだ。
家で、ずっとお腹に
「頑張れ!生きて!」と話しかけた。
双子の妊娠は、一人のと全く違った。
つわりがずっと消えることがなかった。
お腹が張って、薬を飲み続け
できるだけ安静にした。
体の骨が、ずっと割れるように痛く、眠れなかった。
よく、痛みで泣いていた。
それでも、私には、誰もいない。
親も、親戚も兄弟も、
背中をさすってくれる人は誰もいない。
次の検診では、双子ちゃんの体重が減った方は
しっかり戻っていて、同じような体重になってくれた。
心から、嬉しかった。
その間も、ずっと双子ちゃんの父親とは揉めていた。
出産の時も、「仕事だし。。。。」
とずらされてしまった。
臨月になる少し前、検診で見ると、
子宮口が開いたので
その日に帝王切開が決まった。
一旦家に、着替えを取りに帰り
学校に長女が行っていたので
学校に帰ってくるように電話した。
実家の叔母に、お願いして
入院中の長女をお願いすることがなんとかできた。
一人で、また荷物を持って
タクシーに乗り、病院へ向かった。
不安や寂しさはあったと思う。
それでも、この子達を一人で産んで
育てるんだ!という気持ちが何よりも大きくなっていっていた。
手術の少し前、双子の父親が来てくれた。
こっそり、会社を抜けることに成功した!と言っていた。
私たちの存在を、無きものにされるのが悔しいが、
そばにいてくれたことは、やはり嬉しかった。
無事に双子を出産。
2600グラムずつほどで、健康な女の子だった。
その可愛さは、猛烈!でも、顔が同じだった。
見分けるのは、全く無理そうだ。
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