一人で双子育て


出産後、双子育児は想像以上の大変さだった。


双子ちゃんの父親は、認知はしたものの

相変わらず、
「結婚はする、もっと給料のいいところに転職するから待ってくれ。」と

よく言っていた。


たまに、家に来るものの、

子供達を世話することがなく

寝っ転がって、ゲームしかせず

酒を持ってウロウロしているばかりだった。


そればかりか、金を貸してくれということも多かった。


今思うと、彼は

計算がうまく出来ていなかった。

5万くらいを私に渡してきた時も

タバコ代をくれ、車が壊れたから7万くれといい、

「もう、もらった分は全部渡したよ。」

というと、

「何に使ったんだ??」とブチギレた。


その時は、最悪のダメ男だとしか思わなかったが

後から多分、発達障害もあっただろうとわかる。


それは、双子ちゃんがいずれ、それだとわかってからだった。


彼とは、出産後からはあまり会わなくなった。



多分、この人は

結婚はしないだろうと、やっとわかるようになり

私もしがみつくのをすぐにやめた。



前回のギャンブル依存症夫で、7年苦労した分は、

少しは学んでいた。




双子ちゃんは、一人では泣きやますことが出来なかった。


一人が泣けば、もう一人も泣く。

ずっと起こしあった。



病院の方針で、ギリギリまで母乳で頑張ったが


途中で、あばら骨を疲労骨折もして


母乳は足りなくなり、一層双子ちゃんは、お腹を空かせて

泣きまくった。



長女は、泣き止まないとパニックになっていたので

ほとんどお世話をさせなかった。


それよりも、この双子ちゃんと

不器用な長女がゆっくり仲良くなっていけるように、

とにかく、育児は一人でした。



眠ることができず、目を閉じると

幻覚なのか、なんなのか


赤ちゃんの泣いた顔が無数に見えて

流石にやばいのかな、と思った。



役所に出生届けに行くときに

バスに乗ったが

誰一人席を譲ってはくれず

弱った心と体で、泣きそうになっていた。

産後うつもひどくなっていたのかもしれない。


ご飯の時間がうまく作れず


白ごはんを、かっこむように食べた。



その結果、双子ちゃんが1歳になる頃には

体重もひどく増加し

異様に体調が悪くなり


検査すると、糖尿病が重くなっていた。


インシュリンを試してみるも、

ご飯時間がずれた時に

低血糖で、公園で倒れてしまうことがあった。


その時に、あちこちに二人が歩いていき、

自分が動けなく

このままでは、二人が間違って、道路にでも行ったら

死んでしまうと思い

インシュリンを勝手にやめ、

食事療法に一気に切り替えた。


2度目の疲労骨折をし、

保健センターから、保育園を勧められ

保育園に入れることにした。

その頃、私は、

起き上がることも、なかなか出来ないくらいに

弱ってしまっていた。

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