マガジンのカバー画像

わさびと日本人

9
世界文化遺産ともなった和食に欠かせないわさびですが、全国津々浦々で日本人がわさびを食すようになったのは意外と最近のことなのです。身近だけど知らない歴史を楽しみながら紐解いて行きま… もっと読む
運営しているクリエイター

#鮨

明治の握りずし 華屋与兵衛の名声と残念な事件

 前回、握りずしの考案者である華屋与兵衛の時代には、わさびが半年間しか出荷出来なかったとする説を紹介した。華屋与兵衛がおぼろずしなど別形態のすしも発明していったのは、そうした理由もあったかも知れない。  仮にわさびが通年で供給出来たとしても、夏場はネタが傷みやすく、苦労があっただろう。  今回は、この問題へのひとつの回答と、松が鮨、與兵衞ずしのその後について考えてみたい。 江戸っ子は一年中すしを食べていたのか問題 江戸前鮨は海鮮寿司と違い、ネタに対して〆る、漬ける、煮る

元祖握りずし 両国に華屋与兵衛の跡を訪ねる

 今では海外で知られる日本食の代表選手ともいえる握りずし。現在のように酢飯の上にわさびを乗せ切り身の魚と一緒に握るスタイルを確立したのは、華屋与兵衛とされている。 元祖握りずし・華屋与兵衛に江戸っ子が大行列 同名のファミリーレストランチェーンとは関係ない。墨田区観光協会は次のように書いている。  華屋与兵衛が両国に店をひらいたのが文政7年(1824年)。11代将軍家斉の治世で、異国船打払令(1825年)が出された頃。大政奉還(1867年)まで40年あまりといった時代だ。後

「刺身にわさび」はいつからか?

 和食がユネスコ無形文化遺産に登録されたのは、2013年12月4日。世界に知られるようになった和食、ことに寿司や刺身には、わさびの存在が欠かせない。しかし、日本人はどれほどわさびのことを知っているのだろうか。  唐辛子であれば、かつて椎名誠さんも高く評価した『トウガラシの文化誌 』(アマール ナージ/晶文社)が思い浮かぶし、他にも唐辛子の文化史を巡る本は何冊かある。しかし、わさびに関してはどうだろうか? 学術的にまとまった本はあるのだが、一般的な読み物としては思いのほか見当