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怨霊と魔女と人間の話 ~槇えびし『魔女をまもる。』

やすこさんへ

平安時代の物語を読んでいると(主に漫画でですが)、この時代と怨霊は切っても切れないんだなあと思います。そもそも京都の町自体、陰陽師の安倍晴明によって綿密に設計された風水都市だというし、往時の呪術や占術は、現代の科学と同じくらい信頼が置かれるものだったんだろうね。

でもさ、考えてみたら私たちだって結構占いや風水を気にしたり、厄年にはお祓いをしたり、結婚や引越しでは縁起のいい日を選んだり。
一見科学万能のような現代でも、意外に呪術や占術と馴染んでる部分あるよね。漫画の『呪術廻戦』も大人気だし、日本人って呪いとか怨霊という概念をわりとすんなり受け入れて生きている気がする。あと、妖怪とかも。

この感覚って日本独自のものなのかな?
どの国の人であっても、未知の恐怖になんらかの名前を着けて恐れるという心理は皆同じだと思うんだけど、そのあらわれ方は文化や宗教によって色々違いがありそうだよね。

そんな話からの連想で、今回紹介する本はこちら。
槇えびし『魔女をまもる。』

16世紀、不当な魔女裁判が横行するヨーロッパで、魔女と断罪された人たちを精神医学的観点から「助けるべき患者」として救済に尽力した実在の医師、ヨーハン・ヴァイヤーをモデルにした物語です。

作中、人々の怯えが不安と猜疑心を生み、集団ヒステリー的にまことしやかな噂話が広がって、あの女は魔女だ、あいつが人狼だと犯人捜しがされる様が描かれるんだけど、それがなんか既視感あるっていうか。昔の出来事、今の自分たちには関係ないことと割り切っては見れないんだよね。

だってほんの少し前、コロナ流行の初期のことを憶えているでしょう?飲食店や他県ナンバーの車、果ては訪問医療の看護師さんまでが、「お前たちのせいでコロナが広がってるんだ」みたいな不当な非難や攻撃を受けるヒステリックな状況を、私たちは体験として知ってる。あの時の”自粛警察”を思い出すと、魔女狩りの感覚も残念ながらわかってしまう部分があるよ。

結局、時代がどんなに変っても、科学が進歩しても、人間ってなかなか変わらないんだなあーとがっくり。でもそれを知っているってことが大事なのかも、とも思った。

作中の言葉に『”無知”は”恐れ”を呼ぶ』というのがあるんだけど、もうホントそれだよね!
情報が多い故にかえって何が本当かの見極めが難しい現代だけど、自分の考えと似たものだけが集まってくるネットの世界にばかり答えを求めないで、顔を上げて世界を見るという事をしていかなくちゃね。難しいけど。

ではまた。

2024年1月19日
かおり


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