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忘却された美しさは汚すことすらできない

何のために記事を書き始めたのだろう。
普段は小説にしろ記事にしろ、明確なプロットがあって、その上をなぞるように文章を打ち込んでいく。でも、今回は「何かを書きたい」という衝動だけが先にあって、それ以外は何もないのだから、しょうがない。思いついたままに駄文を連ねていく。

絶対的な美しさは人を救う。
昔――それこそ小説を書き始めたころに、信条にしていた言葉だ。座右の銘と言ってもいい。
僕にとって、最初から小説は手段だった。それは、美しさの表現手段という意味でもあったし、この薄暗い場所からどこか遠く、ここではない場所へ行くための移動手段という意味合いも大きかった。
僕には小説しかない。大学一年生の冬休み、本気でそう思っていたことを覚えている。今思えば、それは卑怯で矮小な恣意的視野狭窄だった。美しさを表現する手段なんて無限にある。その中で文章を選ぶ理由なんて、本当は「一から技術を学ばなくても、とりあえずスタートラインには立てる」というくらいのものだった。絵でも漫画でも音楽でも、そもそも創作じゃなくても美しい生き様を見せている他人なんていくらでもいたのに。どこかへ行く手段だって同じだ。カッコ付きの”負け犬”になりたくないのなら、それこそ頑張らなければならないことなんて他にいくらでもあった。少なくとも、就職活動と新卒カードをリリースしてまですることなんて、(移動手段という意味合いにおいては)他にただひとつもなかったのだと思う。それでもなお、小説にしたのは、やっぱり楽をしてどこかに行きたいだけだったのだろう。そして、自分で言うことではないかもしれないが、僕はそういう視野狭窄加減に気づかぬまま道を決める(られる)ほど頭が悪くはない。つまり、残った答えはただひとつ。自分で自分の視野をわざと削いだのだ。それも、楽をするために。

まあ、そんな甘ったれた根性だけでできた選択の末の小説創作だったとしても、やっぱりあの日の「美しさ」に対する執着だけは今でも本物だったと思う。僕は、他の何物でもなく美しい、ただ美しいだけのものに救われた。それはハチの音楽や三秋縋の小説や、ボーカロイドカルチャーそのものだった。もちろん、それらが美しいだけのものだというつもりはさらさらない。ただ、十代の僕が摂取したのは、それらの中に宿った「美しさ」ただ一点だったというだけの話だ。

僕は、ただ美しい箱庭を見せられて、ただ勝手に救われる。そういう作品との距離感や関係性が好きだった。今になって思えば、偉大なクリエイターたちが「ただ美しい箱庭」を作っていたわけではないことがわかる。彼らが本当に内なる衝動のままに創作すれば、アウトプットされる創作物はもっと理解不能でノイズミュージックのようなものだった可能性だって大いにある。そこを商業性や伝わる/伝わらないの狭間に引き裂かれながら葛藤して、ようやく出てきたのがあの形だったのだろう。それでも、まだ幼い僕にはそれが自由に創作された美しい箱庭に見えた。つまり、そういう体でアウトプットしてくれる作品群を、僕は愛していたのだ。

そういう眩い光に脳を焼かれて、僕が初めてアウトプットした長編小説は、当然のように自分勝手な箱庭だった。
『音楽ミイラに花束を』。
音の聞こえない前提の世界で、音の聴こえてしまう障害を持つ少女と、失われた音の世界に憧れる少年のSFボーイミーツガール。
今思えば酷かった。いきなり無数のイヤホンコードにぐるぐる巻きにされた死体がプールサイドに飾られているわ、ヒロインがしていたというだけの理由で主人公まで殺人に手を染めかけるわ、挙句の果てのラストシーンでヒロインが廃観覧車の頂上から身を投げるわ。
全部が全部、「美しい」の断片を切り貼りしたパッチワークの箱庭でしかなかった。それでも、本気で世界を吹き飛ばせる爆弾だと、自分だけは信じていた。

その作品が電撃小説大賞の四次選考で落ちてから、僕は傾向と対策、ひいてはエンタメとはなんぞやという問題を考えるようになった。その果てに「キャラ」と「ストーリー」をなんとかしないとどうにもならない、どこにもいけないよ、という答えにたどり着く。

結果、二つ目に出力された長編『オトナ前夜のキャラクター・キャロル』は、結局またSFボーイミーツガールだった。大人になるのに資格が必要になった近未来で、文武両道完璧な美少女なのに資格が与えられていない少女と「狂人」というキャラクターを演じる主人公のボーイミーツガール。間違いなく、処女作の十倍はエンタメしていた。でも、結果は同じく四次落選。このあたりから、既に僕は迷子になっていたように思う。自分の思う美しさが、そっくりそのまま傾向と対策やエンタメの邪魔をしているとしか思えなくなったのだ。設定だけは自分の強みとしても、キャラクターやストーリーに文量を割くためには、「美しい」なんてやっている暇がない。

その後は、躍起だった。
僕は結局五年弱の公募生活で長編五本/短編三本を書き上げ(お世辞にも速筆とはいえないが)、その五本目の長編で大手のライトノベル新人賞を受賞した。
『おやすみ、あの日の変われない花』
中学時代悪友だった男女が、大人になって、昔自分たちが作ったキャラクターに復讐される話。「キャラクターという概念を殺すキャラクター」の存在がキーになり、物語は転がっていく。

受賞の連絡を受けた時、真っ先に湧いてきたのは「許された」という感情、それ以上でも以下でもなかった。ずっと、こんな状態では生きていられない、と思いながら生活していたから、「もうちょっと生きなよ」と言われた気分だった。そして、許された僕は即座に商業出版に向けて、受賞作の改稿に移ることになる。

改稿は怒涛の作業だった。でも、不思議と苦しくはなく、むしろ楽しかった。それはひとえに、自分の作品に、自分と同じ熱量で向き合ってくれる他者の存在があったからだろう。自分の作品が他者の手が加わることによって化けていくのが、純粋に楽しかった。

『いつか憧れたキャラクターは現在使われておりません。』
そう改題して出版されたデビュー作は、自分でも心の底から満足いくものになった。実際、上がってきた読者さんの感想や反響も想像以上のもので、中には自分の人生に照らし合わせて読んでくれた読者の方もたくさんいた。

嬉しかった。
間違いなく、幸せだった。

だった、けれど。

何か、ずっと忘れているような、置き去りにしてしまったような、そんな嫌な感覚が常に心の隅にちらついていた。
あの日信じた美しさ。
自分を救ってくれた美しさ。
出力しようと必死に試みていた美しさ。

そういうものが、改めて振り返ると、自分の内側のどこにもいなくなっていることに気付いてしまった。

「美しさを大切にしなければ」という命令の言語列だけが形骸化して脳内に残り、それに反応して燃え盛るはずの発火剤も燃料もとうに消えていたのだ。

ずっと、美しさを葬ることがあるのなら、それは自分自身の手なのだろうと、そう思っていた。心のどこかでは、その美しさだけを信じて八十年を駆け抜けることが不可能なことくらい感づいていたし、フィクションのなかで焼き増しされた「成長」はいつだって何かを手放すことを暗示していた。

だから、僕は僕自身の手で僕の美しさを汚すその時のことを、ずっと考えていた。

でも。
気がついたら、すっと、どこかへ行ってしまった。

忘却された美しさは、自らの手で汚して終わらせることすらできないのだと悟った。

……でも。
じゃあ、それでおしまいで、それでいい話なのか? これは。

きっと、僕がこのまま身を任せてその全てを手放したまま二度と帰らなければ、やがて僕は二度と本質的な意味でものをつくることができなくなると思う。少なくとも、今はその予感がある。初期衝動を無くした創作は等しく無価値だ。十代に響くことのない創作が無価値なように。
もちろん、初期衝動をそのままの形で持ち続けているクリエイターなんて一握りもいないだろう。でも、やっぱり力のある作品をアウトプットしているクリエイターは、どこか変形を繰り返して、初期衝動「だったもの」を一グラムでも抱え続けている気がしてならないのだ。

今の自分が、そういうものを持ち続けられているのかはわからない。
もしかしたら自分の中にも何グラムか、初期衝動が変形してできた結晶が含まれているのかもしれない。それでも、やっぱりこのまま放置して看過して喪失していくことは、きっと創作者としての緩やかな自殺だ。

もう一度、探しにいく。それ以外に、きっと方法はなくて。
もしかしたら、そう探し続ける姿勢そのものに美しさは宿る可能性すらあって。それが、全く見当がつかないからこそ。

僕は今日も、日の当たる街路樹が見せた命の一秒を描写する。
僕は今日も、心が被せたオブラートを破れないように一枚ずつはがして、言語化する。
僕は今日も、今日という一日に名前をつける。


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