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ライブは退屈な日々からの脱却手段

(1回だけだけど)以前ずとまよのライブ感想を書いたことがあるくらいにはライブに行くことが好きな自分。

なんでそんなにライブが好きなのか言語化できそうって思ったので今回の記事を書くことに。

大元はタイトルの通り。

ライブって非日常なんですよね。

薄暗い空間、日常生活では体感できない爆音、きらびやかなステージセットと炎やスモークなどの特殊効果、自分には真似できない演奏技術、普段の生活では会うことのない人々…

特にずとまよはライブにコンセプトを設定しており、ステージセットも演奏のアレンジも、このコンセプトに沿って行われる。
ライブに向かっている間から気持ちは俗世を離れ始め、ライブ会場に入ればすでにそこは現実から切り取られた特別な空間。
そして予測不能なライブ展開。そこに即興アレンジも加わった日にはもう精神は迷子。

そんなまさに非日常の極みの空間。

これらの普段の生活では摂取できない要素を味わえるからライブが好きなんだと実感した。

ライブ以外にも旅行やディズニーに行くことも好きな自分はこの『非日常』が好きなんだな、と気付かされた。

旅行は普段とは違う土地を訪れる行為であり、海外旅行であれば文化も言葉も違う、そんな非日常を楽しむ行為。

そして(特に日本の)ディズニーが夢と魔法の国をテーマにして、徹底的に外部=日常から切り離された空間を提供してるのは皆さんお感じかと思います。
そんなディズニーが常に人気で行列だらけなのはみんな非日常を求めてるのではないだろうか。

平日は毎日同じ電車に乗り、同じ職場で、同じ人々と、同じような仕事をする、そんな自分みたいな社会人は多いのではないでしょうか。

そんな『いつも通りの日常』から脱却できる非日常な空間、それが人類のオアシスだと思う。

特に自分の場合は食品という日常の中でも最も身近なものを仕事で取り扱っているが故に、この非日常を強く求めているのではないか。

実際、日本語には「ハレとケ」という言葉がある。

ハレの語源は「晴れ」であり、「晴れの舞台」(=生涯に一度ほどの大事な場面)、「晴れ着」(=行事や儀礼的なシーンで着用する衣服)などの言い方で使用されている。これに対し、明治時代までは普段着を「ケ着」と言っていた。

そして一説にはこの「ハレとケ」には続きがあり、ケガレという概念もあるという。
ケ(日常生活)を営むためのエネルギーが枯渇するのが「ケガレ(褻・枯れ)」であり、「ケガレ」は「ハレ」の祭事を通じて回復するという説。

やはりDNA的に日本人にはライブが必要ということらしい(暴論)


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