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#79始めるのに遅い事は無い

「丁寧に文字を書く。」
友人たちにそう宣言して2週間くらい、、、

ふと自分の思考の変化に気づいたので振り返る。



専業主婦をしながら
アロマや薬膳の通信講座で勉強したり、
自分を高めたいとあちこちのセミナーに行ったりしていた頃がある。

そもそも営業職だった夫はほとんど家には居ないし
たまの長期休暇はどこかに行っちゃうしで
いわゆるワンオペで3人の子達と古民家暮らしをしていた。

子供達はゆったり伸び伸びと日々を味わいながら
しっかり自分の懐の深さや視野の広さを染み込ませて、
自分に何の制限もかけず社会でしっかり存在して行ける子に育てよう
そう決めていたから、
そう決めたとおりの日常を作り粛々とこなしていた。

日常といっても、例えば毎日
早めに保育所に迎えにいって
夕方は薪割りやお風呂たき、
庭でどろんこになって遊んだり、
1汁3菜で
おやつは素朴な手作りおやつ
干し柿やお団子、煮干しやおにぎりなどを。
できるだけ庭で育てた野菜を
自給自足に近づきたい
お味噌や梅干し作ったり
病気や怪我は自然療法で治して
夜は絵本を一人3冊読んで9時には寝かす。
朝は早く起こして、お味噌汁食べて
自分で自分の用意をしたり
いろんなところに連れていっていろんな人に会わせたい。
日本の行事やしきたり、伝統文化にたくさん触れさせたい

そんな野望でした。



今振り返るとあの頃は「意地」や「許せなさ」があったから
一生懸命やれた。

自分に厳しく、常に全力で。


あの湧き上がる思いは「自己肯定感」とやら?が低かったからだと思う。

ドロップアウトしてしまったという自分の評価が
自分を鍛え直すエネルギーとなっていた。

憧れの人や自分の理想とする暮らしぶり以外を営む人しか見ない一方で
怠惰な人や依存してくる人を卑下する感覚の裏には
小さな気の緩みや綻びで自分もすぐそうなるという怖さがあったから
許さなかった。常に自分に厳しく存在していたと思う。


だからこそ「ここだけは譲れない!」っと奮闘してこだわったり
悔いのない子育ち環境を整えるんだと意地になれた


自分の葛藤とは別に天真爛漫に育ってゆく子ら救われていた

自己肯定感が低い日本人
出る杭にならない日本人

色々なネガティブな表現があるけれど

あの必死さや許せないさは
どこかに置いてきてしまった自己肯定感を取り戻すための意地。


自己肯定感を取り戻す事が叶い、
むしろ自分に対する信頼が増した頃
ハタと気づいた。

ひとりぼっちな気がする。
夫もそばにいないし、表面上の空虚な関係の友達ばかり。

そこから、少しずつ夫に向き合い始め
今度は夫とのイニシアチブ合戦を繰り広げてしまう。
自分のやり方に自信を持ってしまっていたから、耳を貸せなくなっていた。
真っ直ぐに、そのままの気持ちには向き合えなくなっていた。

今度は自分の正しさを認めてもらいたい
自分の土俵に来て欲しい、そんな傲慢さが芽を出していた。

とはいえ、
それまでは一切不平不満を伝えず好きなようにほったらかしていた夫に
急に真正面からぶつかるようになった。

一度ぶつかると、それまでの積年の思いがドロドロと湧いてきて
謝罪の言葉や愛の囁きが聴けるまでは
ぶつけまくってもいいんじゃないかと思っていた。

地域の秋祭りの練習は老若男女が集う、凄い人格者も怠惰な人もみんな。

あれ?私の性格ってこんなんじゃ無かったよな??
幸せを自ら引きちぎって切るような気さえしてくる。。。

少しずつ自分がこだわっていた子育て環境に対するこだわり
自分に対する厳しさを捨ててみる。。。

捨ててはやっぱりコレは捨てれないと気づいて撤回したり。



かつての自分が一体どんなだったか?
本来の自己肯定感とか許せなさとか全力で頑張ってた自分とか
もちろん今の私の財産でもあり、たまにヒリヒリ疼いたり。

今はそんなことよりも大事にしたい今
今の自分の気持ちが一番大事。

だから譲れないなと今感じて大事にしたり
もう一度あの頃学んだことをゼロから学んでみたいとおもえたり
あの頃の私のようなメラメラと燃える意欲の人を見たらくっついていってみたり。

さて冒頭の「丁寧に文字を書く」にはまっているこの頃。
文字を丁寧に書きたいなと思い立ち
気に止まった言葉や文章を
まるで活字のような癖のない綺麗な文字で描いてみたいと。

もうひと月くらいになるかな。

この思いつき、やってみて自分が少し変わってきた
日常の自分の心は安定してきた。
ただ、自分の感情の浮き沈みがなくなった一方で
不用意に投げつけられる冷たく重い泥団子のような言葉や
さりげない優しさや些細な愛に
繊細に敏感に感じる自分がいる。

今はその敏感に感じた時にどう表現するか?
どう伝えるかに試行錯誤を重ね
自分がスッキリする方法と居心地を探っている。




やっぱり今も自分を常に探究。
自分を探究することには生涯楽しめそうとワクワク感じる今。



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