どの言葉を選び、どう使うか?
たくさんの言葉を費やしても、
相手は聞きたい言葉だけを選び取る
一言しか使わなかったとしても、どの熟語を選ぶか?
どのようなタイミングで、どのように伝えるか?
この組み合わせで
人とどう繋がりどうやって手を繋いでゆくのか?
が変わってくる。
個性的な人ばかりが私の周りにいるという自覚はあったものの
「そんなに個性的な人ばっかりなんだなぁ、、」
第三者に言われて改めて自覚しつつゾクゾクしてきた。
私の周り、、スタッフが中心なんだけれど
多分スタッフ全員普通じゃないまま社会に存在できている
私の思う普通じゃないは、
社会の組織や仕組みの枠組みの中では生きにくさを感じるとか
それぞれの長所を隠さなければその組織では存在してはいけないような
行きにくさを抱えるだろうなという感じかな。
まぁ代表格は私なんだけど。
ちゃんと自分で働いて稼ぎつつも、
自分のやりたいことには蓋せず敏感にグングン進まずにはいられない
実は先月から厨房にブームが来ている
個性分析、怪しいと感じると伝えたいことがぶっ飛んでしまうので省くが
誕生時間までを当て込んで出てくる自分の取扱説明書みたいなもの。
もっとたくさんの文字が並び、
もっとたくさんの説明がなされていたが
私が私ってこんな人だなと思うことを抜粋している、いつの間にか。
欲しい言葉やしっくりくる言葉だけを自らが選びとっている。
そういえば
私の手相を見てくれた人の言葉にもそんな反応をする私がいる。
例えば総称して良かったねといつも私の境遇を褒めてくれた。
要するに毎回思うのは
周囲の環境や巡り合わせや出会いに守られて育まれてきたなぁ、という事。
ひいじいちゃんとその親友が生きている時から今も感じる見守られている感
父方母方それぞれのじいちゃんは常に変な方向に走り出さないように注視してくれている
他方で、何故かひいばあちゃんやばあちゃんの視線は私には向いてない気がする、きっと別の誰かを見守っているんだろうな。。
色んな挑戦好きな私だけど、3人のじいちゃんと楽しい仲間たちが
危ない橋を渡ろうとすると、全力で色んな方法で止めてくれたり
ちょっと調子に乗りすぎてると思うと
「少しは痛い思いしなさい」とたまにケガをさせて反省を促してるような。
そういうのは見えない私だけど、
何故か昔からそんなふうに見守られている気がする。
「もっと正直にもっと素直に生きなさい」
最近は特にそんなふうに言われている気がする。
じいちゃん達ありがとう。
これからもそうやって時折見ててほしい。
おっと!手相懐古から話が逸れた
ほら、、、!
手相は読めないけれど、やっぱり欲しい言葉だけがインプットされて
欲した情報をもとに湧いてくる自分の思いや感謝の念。
これってヤラセ?
わざとではないし、故意にその言葉を選びとったわけではないけれど
共通して欲しい情報や自分に取り込みたい思いだけを取り込み
吐き出したい言葉だけを吐き出している気がする。
さて、自分の強み、自分の弱い所などを客観的に情報としてもらっても
自分の認識する強いところは自分で掴み取り、
誇示して無意識のうちにゴリゴリ推している。
一方弱い所は、薄々感じていてそろそろ向き合いたくなった自分の課題で
人に言われると否定したくなったり認めたくなかったりするかもしれないが
第三者という責任や因縁のない存在の人にこそ言ってほしかったこと。
やっぱりたくさんの言葉を費やしても、聞きたい言葉だけを選び取る。
一言しか使わなかったとしても、欲しい熟語を選び
自分のタイミングで向き合っているのかなと思う。
自分がこれから人とどう繋がりどうやって手を繋いでゆくのか?
最近厨房で流行っている統計学による個性分析。
ビジネスにおいての適性や相性を考える際の参考にしたり、
子育てにおいてどのような言葉をかけるとその子の長所が生かされ、弱点について向き合えるかのツールとして使われているらしい。
面白いなと思い数名でよくこの話題に花を咲かすが、
やっぱりこれもまた人生観、世界観によって見方や言葉の使い方が違うな。大事なのはやっぱり自己を見続け問い続ける姿勢と
相手の存在をそのまま大切に思う心からの言葉だな。
今日はそんなことを思う1日でした。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?