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【子育て】#5産後メンタル①~喜と哀~【はじ赤】

出産=感動だけではない!?複雑な産後ママの心情

なんだかへとへとになった分娩。

生まれた瞬間、私は感動に包まれていて、フワフワしたまま病室へ戻った。

私は、たしかに自分の子を出産した、産声を確かに聞いて、胸の上で触れた。

その体験を頭の中で何度も反芻して、横になっていた。

後陣痛の痛みに耐えながら、横になっていた。

けれど、じわじわとやってくる寂しさ。

10ヵ月もの間、自分の体とともに過ごしていた命が、もういなくなってしまった。体から離れてしまった。

出産したのだから当たり前なことなのだけど、頭ではわかっていても、どうにも悲しい。寂しい。

友達が遠い地へ引っ越してしまったような感覚に乗っ取られ、感動と寂しさで嗚咽を上げて泣きじゃくった。

産後の体のどこにそんな体力が残っていたのかと思うくらい、ずっと泣いた。

寝たのは明け方だったかもしれない。

だけど、そんなこと、育児が始まってからは目の前の娘と向き合っていれば、妊娠時代の体のことなど記憶から薄れていった。

黄疸の数値が高いこともあり、週齢1~2週ころは病院の往復があったり、

授乳、オムツ替え、睡眠…の延々と続くループの生活で、

一般的に「辛い」と言われている生後1~2ヵ月の「寝れない生活」にどっぷりと浸かっていった。

だけど、ある日の病院帰り、最寄り駅。

生理のような子宮の重みを感じたかと思うと、ドスン!とこれまで感じたことのない重力を感じた。

階段の途中で急に止まってしまったので、後ろにいた方々にとても不快な思いをさせたであろう…スマン…

ピヨピヨと最小限の歩幅でトイレへダッシュし、おそるおそるパンツをおろすと…

なんというか…ドデカいジャガイモに血糊をベッタベタ垂らしたような…とにかく大きい赤い塊が、ナプキンにドン!と乗っていた。

10か月以上生理の止まった体だったので、こんなにも生々しいものは久々に見た。

そしてこれまで娘が入っていた場所から出てきたもの、娘と共に過ごしてきた物体。

それが役目を終え、目の前にある。

もう私の体は、入れ物の役目を終えたんだ。

もう終わったんだ。

またとんでもなく悲しい気持ちになり、帰宅して泣いた。

家族が寝静まってからも、泣いた。

…だけど、いい加減泣くのしんどい!現実は目の前にあるのだ。もう育児は始まっている。

さようならを告げて、つぎの授乳で吹っ切りました。


出産は感動である。だけど、それだけではない感情を持つ人間がいることを知った。

出産は奥が深い。

夫が「チェーンマタニティーのひとってそういう感情から来ているのかもね。」と言っていた。

納得。

そして、いいマタニティ期間だった。幸せだった。

ありがとう娘、そして支えてくれたひとたち、環境。

出産、最高!

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