見出し画像

新しいお札の顔ってどんな人たち?

◎新紙幣はいつから?
2024年7月3日、一万円札、五千円札、千円札の3種類が同時に生まれ変わります。新しいお札の顔となるのは渋沢栄一、津田梅子、北里柴三郎の3人。名前は聞いたことあっても、なぜこれらの人物が選ばれたのか、そして「この人誰だろう?」という方もいらっしゃるかもしれませんね。

紙幣の肖像の選定理由について、財務省のサイトには以下の説明があります。


新しい紙幣の肖像になる渋沢栄一氏、津田梅子氏、北里柴三郎氏は、それぞれの分野で傑出した業績を残すとともに、長い時を経た現在でも私たちが課題としている新たな産業の育成、女性の活躍、科学の発展といった面からも日本の近代化をリードし、大きく貢献した方々です。三者ともに、日々の生活に欠かせず、私たちが毎日のように手に取り、目にする紙幣の肖像としてふさわしいと考えています。
なお、近年の改刷においては、
(1) 偽造防止の観点から、なるべく精密な写真を入手できること、
(2) 肖像彫刻の観点からみて、品格のある紙幣にふさわしい肖像であること                                      (3) 肖像の人物が国民各層に広く知られており、その業績が広く認められていること
といった観点を踏まえて、明治以降の人物から採用しています。

出典:財務省ウェブサイト:https://www.mof.go.jp/faq/currency/07ap.htm

なるほど! そういう観点から選ばれた3人だったのですね。でも具体的には何をした人たちなのかやっぱりよく分からない…。という方のために、ヨメルバでは新紙幣の3人のことをちょっぴり紹介しちゃいます!


▶新一万円札の顔・渋沢栄一ってどんな人?

出典:財務省ウェブサイト:https://www.mof.go.jp/policy/currency/bill/230628.html

渋沢栄一は明治から昭和初期に活躍した実業家です。91年の生涯で約500もの企業の設立や育成に関わり、約600の社会公共事業・教育機関の支援や民間外交に尽力しました。日本の「資本主義の父」とも呼ばれ、また「個人の利益の追求だけではなく、みんなの得になる社会を作るにはどうすべきか」を実践した人物でもあります。

渋沢栄一は、1840年に武蔵国榛沢郡血洗島村(今の埼玉県深谷市)の「藍」を扱う家に生まれました。藍を仕入れに行く父に同行しているうちに藍の葉の目利きができるようになった栄一は、子どもながらに質の良い藍の葉だけを選んで仕入れる、という商いの才能にすぐれていたのです。 

1854年、日本は200年以上にわたる鎖国政策を改めて開国。いっとき栄一は幕府に対し批判的な攘夷運動に燃えますが、やがて一橋慶喜(後の徳川15代将軍)に仕えるようになります。

そして転機が訪れ1867年、慶喜の弟・徳川昭武に同行してフランスを訪れた栄一は、パリの近代的な進歩を目の当たりにして感銘を受け───

同時に人々がお金を出し合ってつくる合本会社の可能性に心ひかれていったのです。
帰国後、民部省(今の大蔵省)を経て実業家になった栄一は、日本で最初の国立銀行となる第一国立銀行(今のみずほ銀行)や日本鉄道(今のJR東日本)をはじめ、数多くの会社の経営に関わり、日本経済に多大な利益をもたらしました。渋沢栄一は、近代日本経済の基礎を築いた人物なのです。

▶新五千円札の顔・津田梅子ってどんな人?

出典:財務省ウェブサイト:https://www.mof.go.jp/policy/currency/bill/230628.html

津田梅子は明治から昭和初期に活躍した教育家で、今の津田塾大学を設立したことで知られています。「女子に学問は必要ない」と思われていた時代に、女性の地位向上を目指した人物です。

津田梅子は1864年、江戸牛込南町(今の東京都新宿区)に生まれました。梅子の父は外国奉行の通訳を務める幕臣で、外交使節に随行してアメリカを訪れた経験から先進的な考え方をもっており、梅子はわずか6歳で日本初の女子留学生としてアメリカに渡ることになりました。

アメリカで語学や文化を学び11年後に帰国した梅子は、アメリカの女性と日本の女性の地位の差や、良妻賢母の育成を主とする日本の女子教育にショックを受け、女性が学ぶことができる学校をつくろうと決意します。華族女学校で教鞭を執った後、1889年、すぐれた教育方法を学ぶために再びアメリカに留学。

帰国後は志をともにする仲間たちと女子英学塾(今の津田塾大学)を設立するなど、近代的な女子高等教育の実現に生涯をささげました。

女性の社会進出が極めて難しかった時代に、女性の地位向上こそ日本の発展につながると信じて、「男性と協同して対等に活躍できる女性の育成」を目指した梅子は、日本の女性教育のパイオニアと言われています。

▶新千円札の顔・北里柴三郎ってどんな人?

出典:財務省ウェブサイト:https://www.mof.go.jp/policy/currency/bill/230628.html

北里柴三郎は、明治から大正にかけて活躍した世界的な細菌学者です。破傷風菌の純粋培養に世界で初めて成功し、その治療法を確立しました。また感染症の予防などにも多大な功績を残し、「近代日本医学の父」と呼ばれています。

北里柴三郎は江戸時代末期の1853年、肥後国阿蘇郡小国郷北里村(今の熊本県阿蘇郡小国町)で代々庄屋を務める家に生まれました。

文武両道に励んで育った柴三郎は、1871年、外国語を学ぶべく熊本医学校(今の熊本大学医学部)に入学。オランダ人の医師マンスフェルトに師事し、やがて東京医学校(今の東京大学医学部)へ進学しました。

1886年からの6年間、柴三郎はドイツに留学。病原微生物学研究の第一人者であるコッホの下で研究に励み、当時不可能とされていた破傷風菌だけを取り出して培養する純粋培養に成功。さらに、菌の毒素に対する免疫体(抗毒素)を発見し、血清療法という治療法を確立しました。

帰国後は私立北里研究所を設立し、インフルエンザをはじめ多くの血清開発に取り組むかたわら、野口英世(黄熱病の研究)や志賀潔(赤痢菌を発見)など多くの弟子を育成。1917年には慶應義塾大学医学部、1923年には日本医師会の創設に携わり、研究と教育の両面で日本の医学の近代化を強力にけん引しました。


◎いかがでしたか? 渋沢栄一、津田梅子、北里柴三郎の3人について、それぞれが経済・教育・医学の分野で大きな功績をあげ、日本の近代化をリードした人物であることがお分かりいただけたでしょうか。新紙幣が発行され、3人の肖像に会えるのが待ち遠しいですね。
なお、「新紙幣が発行されたら今までの紙幣は使えなくなっちゃうの!?」なんて心配は無用です。新紙幣が発行されても今までの紙幣は変わらずに使えますので、安心してくださいね。

▼渋沢栄一、津田梅子、北里柴三郎について、もっとくわしく知りたい方はコチラ!

角川まんが学習シリーズ『まんがで名作 渋沢栄一の論語と算盤 』

【監修】加地伸行(大阪大学名誉教授)
【カバー・表紙】田伊りょうき
【定価】1,078円
【判型】四六判ソフトカバー
【頁数】144頁
【ISBN】9784041086490

【全国の書店にて発売!】

角川まんが学習シリーズ『まんが人物伝 津田梅子 女子高等教育にささげた生涯』

【監修】髙橋裕子(津田塾大学学長)
【カバー・表紙】吉元ますめ
【定価】1,078円
【判型】四六判ソフトカバー
【頁数】160頁
【ISBN】978-4041112854

【全国の書店にて発売!】

角川まんが学習シリーズ『まんが人物伝 北里柴三郎 近代日本医学の父』

【監修】森 孝之(学校法人北里研究所 北里柴三郎記念室)
【カバー・表紙】杉基イクラ
【定価】1,078円
【判型】四六判ソフトカバー
【頁数】160頁
【ISBN】978-4041110218

【全国の書店にて発売!】

▼プレゼントに最適な箱入りセットもあります!

角川まんが学習シリーズ『まんが人物伝&まんがで名作 新しいお札の顔!近代日本の偉人セット』

【定価】3,234円
【ISBN】978-4041132395

▼セット内容
①角川まんが学習シリーズ 『まんがで名作 渋沢栄一の論語と算盤』
②角川まんが学習シリーズ 『まんが人物伝 津田梅子 女子高等教育にささげた生涯』
③角川まんが学習シリーズ 『まんが人物伝 北里柴三郎 近代日本医学の父』

紙幣の人物の生き方や名著から近代日本の歴史背景を学ぼう!
『まんが人物伝』は、子どもたちが夢をもち、未来に向かって成長する心の栄養となる伝記まんがの決定版!
「新しいお札の顔!近代日本の偉人セット」は、2024年から発行される紙幣の新しい顔として注目が高まる北里柴三郎・津田梅子・渋沢栄一をピックアップしました。
経済・教育・医療の分野で大きな功績を遂げ、日本の近代化をリードした人物たちです。
進級・進学のプレゼントにもピッタリ!金運UPに影響を与える黄色のケース入りです。
 
【セット内容】
まんがで名作『渋沢栄一の論語と算盤』
新しい1万円札の顔にも選ばれ、日本の「資本主義の父」と呼ばれる渋沢栄一は、中国の古典『論語』を学び、個人の利益の追求ではなく、
「みんなの得になる社会をつくるにはどうするべきか」を考え実践した人物。正しくお金をもうけて社会のために使うこと、そして何より人を思いやり行動することの大切さを学ぼう!
 
まんが人物伝『津田梅子 女子高等教育にささげた生涯』
明治時代、日本最初の女子留学生として6歳で渡米した津田梅子。
アメリカで得た知見をいかそうと希望を胸に帰国した梅子は、日本女性を取り巻く環境に打ちのめされる。
しかし梅子は希望を失わず、女性のための学校づくりと女性の地位向上に、その生涯をかけて尽力する。
 
まんが人物伝『北里柴三郎 近代日本医学の父』
幼い弟妹を病気で亡くした柴三郎は、医者という職業に不信感をもっていた。しかし顕微鏡をとおして見えた世界に興味をもち、医学の道に進むことを決意。
感染症の予防と細菌学の研究に力をつくしたかれは、やがて予防医学の先駆者となっていく!

【全国の書店にて発売!】

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?