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徒然なるままに…

息子と一緒に散歩に出ると、近所の公園でソメイヨシノが咲いていた。
また春が巡ってきたのだと、しみじみ感じる。

こうして1年1年過ぎていく中で、自分もまた年齢を重ねていくのだが、最近、頭の隅に『更年期』という単語がチラリチラリと見え隠れする。

以前に比べて、体力が落ちたり、踏ん張りがきかなかったり、頑張った後で体調を崩したり。

前だったら、もっとできたと感じることが、年々増えてきていて憂鬱を感じるのだが…。

この、憂鬱の根底にあるのは何だろうう?

自分の心の奥を覗き込んでみると、自信を失うのがイヤだと言っている。

何の自信なのか?

それは、『女』である…ということの自信らしい。

閉経が間近に迫って、ホルモンバランスが崩れて、気力や容姿が衰えていく。

どう頑張っても、若い頃には戻れない。

野口晴哉先生の『女である時期』という著書には、『閉経=女でなくなる時』と書いてあり、生物学的に妊娠できなくなる、ゆえにオンナ(雌)ではない…とのこと。

子供が生める=女…という定義は、少々カチンとくる感があり、そうは思っても、その通りと感じたりもするのだが。

では、女でなくなった我々は、いったい何者になるのだろう?

『女である』ことだけに、自分の価値を見出していたわけではないが、そうでなくなる時に、自分の価値が下がるような気がするから、憂鬱になるのかもしれない。

『女でなくなった』その先の人生が、明るく楽しく、快適なものであれば、不安に感じることもないのだろうが、こればかりは個体差があり、どんな風に落ち着くのか謎である。

若い頃のように、恋愛がしたいとか、仕事でキャリアを積み重ねたい!という欲求はないのだが、足腰が弱くなって旅行できないとか、体型が崩れて好きな服が着られない、やりたい事ができない…そういう劣化が、ワタシ的には一番イヤなことらしい。

つまり…

◎行きたい場所にいつでも行ける
◎好きな服や着物をかっこよく着られる
◎やりたい事がいつでもできる
◎美味しいご飯を美味しく食べられる

…というのが、ワタクシの『幸福』には、絶対に欠かせないことであるらしい。

しかし、この4つの軸の中に、『女である』必要があることは、実はひとつも含まれていない。

強いて言えば、『服や着物をカッコよく着られる』ということだが、今現在ですら、自分自身が納得しているプロポーションではないのだから、女であるかどうかは微妙なところ。

ホルモンバランスが崩れて、これ以上、太るのはイヤだ‼︎…というのが本音らしい。

で、あるなら、しっかり筋肉をつけて、体力をつけて、自分のパフォーマンスを維持するしかない。

結局のところ、やる事は今までと変わらない。
体力をつけて、内臓や筋骨を健全に保つ。

ここのところ、内臓に負担を強いていたので、ちょっと食生活を見直していく必要はあるらしい。

『女である』ワタシの体の変化期において、いかにバランスを崩さず、『次』に移行するかが、この更年期という時期の課題なのだろう。

そのためには、まず、自分の体の特性を見極めていくことが大事かもしれない。

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