映画評『ファーザー』

2023年度「サギタリウス・レビュー 学生書評大賞」(京都産業大学)
自由部門 特別賞作品

「アンソニーの苦しみ」
塚本侑聖 経営学部・マネジメント学科 3年次

作品情報:『ファーザー』(フロリアン・ゼレール監督作品、2020)

現在日本では少子高齢化が急速に進んでいる。このことに伴い、少子化対策や子育て支援に関する政策が数多く立案されている。また、2022年の時点で65歳以上の人口が全体の29%を占めることが総務省統計局の調査で示されている。高齢者層の増大と切っても切り離せない問題として認知症がある。

実際、高齢者の5人に1人が認知症になると推計されている。また、認知症になった人を誰が介護するのかということも重要な問題であり、高齢者が高齢者を介護する、いわゆる老老介護や福祉に携わる人材の確保が喫緊の社会課題になっている。

『ファーザー』の主人公は、認知症の症状がみられるようになった81歳の男性、アンソニーである。彼の娘であるアンは彼の生活を心配し、介護人を付けようとするがアンソニーは現実をうまく受け入れることができず、トラブルを起こしては介護人を交代することを繰り返している。アンは認知症の父を懸命にサポートするが、アンソニーにつらく当たられることも多く精神的に疲弊していく。

設定は比較的よくあるものだが、この映画の主題は「認知症の老人と振り回されるかわいそうな娘」ではない。認知症を扱ったニュースや作品では、介護者の肉体的・精神的な苦労に焦点が当たっていることが多いため、認知症になった人の心理は描かれることがあまり無かった。『ファーザー』の見どころはまさにこの点にある。認知症の症状がどんどん進行していくアンソニーが現状をどのように認識するのか、そしてアンや介護人など周囲の人とどのように関わっていくのかが鮮明に描かれているのが本作の特徴だ。

認知症の人の心理描写が可能になっているのは、アンソニーの視点でストーリーが進行していくからに他ならない。例えばアンがアンソニーに、自身がパリに引っ越す予定であることを説明するシーンがある。それはパリに住んでいる彼氏と一緒に暮らすためであり、週末には会いに来ることが出来るから心配はいらないという内容が語られる。しかし、少し後にアンソニーが確認するとアンはパリに行く話なんかしていないと言う。

別の日、アンソニーが料理をしていると部屋に謎の中年男が入って来る。アンソニーは包丁を手に恐る恐る「お前は誰だ」と問いかけると、謎の男は自分はアンの夫であり結婚して10年経つと話す。だが、アンソニーの記憶ではアンは数年前に離婚していて今は独身のはずである。

アンソニーは自分の記憶と現実の違いに困惑し、不安を募らせていく。しかし、困惑するのは彼だけではない。それは映画の観客である私たちだ。語られる物語の中で何が本当に起こっていることで、どれがアンソニーの思い込みや幻覚なのか、時系列や人の名前は正しいのか。一度疑いだすと、途端に何を信じたらいいのかが分からなくなってしまう。この「迷い」こそが認知症になった人の感じている苦悩なのだ。

あくまで第三者として客観的に見ると、アンや介護人に対するアンソニーの厳しい態度は頑固でひどいものに感じられる。しかし彼の立場に立ってみると、彼がもともと冷酷な人物だったのではなく、何もかも信じられないことに対する焦りや孤独が原因でパニックに陥っているとも考えられる。

ラストシーンで老人ホームに入ったアンソニーが介護人に語りかける場面は、彼の心境がよく表れている。「ママを呼んで ママを ここを出たい(中略)ママを呼んで うちに帰りたい」泣きながらこう訴える彼は怯えていて心なしか小さく見える。また彼は「すべての葉を失っていくようだ」とも表現している、自分を構成している記憶が次々と落ちていってしまうことの比喩だろうか。

この映画を見ると、自分が認知症の人やその家族に対していかにステレオタイプ的な偏見を持っていたかということを思い知らされる。それは、認知症は「病気」なんだから、こちらが「助けてあげる」のだというような一方的な思い上がりであった。『ファーザー』を通して、現代の高齢化社会の問題を自分事として考えてみてほしい。